町と温泉と器をめぐる旅路
旅を奥深くする抜け道は、ありふれた日常のなかに潜んでいます。
石川県加賀市は九谷焼と山中漆器の産地であり、その界隈のコミュニティや文化サロンに属している住民にとって、陶芸家や漆芸家との交流は日常茶飯事です。茶道家も住んでおり、ときどき薄茶をご馳走になって、古めかしい釜や茶碗を鑑賞させてもらいます。
こうした生活空間には「ひとつの物を永く使い続ける」という思想が満ちています。一見、何の変哲もない道具たち。それを生涯かけて愛用することは、心に余裕のある豊かな暮らしの証です。そうした加賀の日常からから触発されて企画したものが、クラフトツーリズム「窯元探訪」です。
これは「未来のビンテージ品が眠っている工房で、100年後の骨董品を探す」というプログラムです。この記事で紹介する片山津温泉も催行地の1つです。観光スポットやお土産も、じっと向き合っていると、温泉地の暮らしぶりが垣間見えます。「いつの間にか、故郷のようになっていた」と言われる地域を目指して、町と温泉と器を巡る旅へと、本日もご案内します。
片山津温泉「柴山潟」が空の色に染まる時、息を吞む光景に包まれる。
柴山潟が「彩湖」と称される理由とは?
いつの頃からか、誰が言い始めたのか、柴山潟は「彩湖」と讃えられるようになりました。水面の色を、日に何度も変えることから彩湖と呼ばれています。
そんな魔法のような潟が、片山津温泉にあります。風も波も雲も、そして空の色までも映し出す柴山潟。朝焼けから夕焼け、月明りに至るまで、さまざまな色に染まったビードロが穏やかに波打っています。
かつて「江沼(えぬま)郡」と呼ばれていた石川県加賀市は、河川や潟湖、湿地、湧き水、水田、温泉といった水資源に恵まれています。この水郷地帯のうるおいが流れ着き、雄大な水景となる場所のひとつが彩湖です。
美しい夕焼けを眺められるスポットは?
夕焼け空が恋しい方は、是非「柴山潟の遊歩道」へと足をお運びください。ここでご注意いただきたいのは、遊歩道が複数あるということです。目印として、桜並木と田園風景もご覧になれるでしょう。後ほど、住所も記しておきます。
夕暮れ時、もし西の空に雲がなければ、その日は茜色の空に包まれるでしょう。太陽は地平線から姿を消す間際に、幻想的なグラデーションを残して去ります。たった数分の黄昏時が、永遠に忘れられない記憶となる。そんな魔法にかけられた彩湖は、きっと湯上りの旅人にも、かけがえのない夕涼みをプレゼントしてくれることでしょう。
黄昏時は、あっという間に夜のとばりに包まれるのが世の常です。潟の向こう岸には温泉街があり、軒を連ねる旅館の灯りが、真っ暗闇の水面にスーッと伸びています。都市の喧騒から遠く離れた地では、その静けさが身に染みます。満員電車やコンクリートジャングルも無縁の世界では、雄大な星空がどこまでも広がっています。
広い空と潟湖は、太陽や星の美しさを教えてくれます。
データ
見どころ | 柴山潟の美しさは「彩湖」と讃えられており、夕焼けや夜景も絶景です。 |
スポット | 柴山潟遊歩道(石川県加賀市干拓町) |
駐車場 | あり |
湖畔に佇む美術館のように、山と空と潟に溶け込む建物。
ガラスに覆われた建物の正体は?
夕焼けを眺められる湖畔から、対岸にある温泉街はそう遠くなく、車を5分ほど走らせると辿り着くでしょう。営業を終えたパン屋やコーヒーショップと入れ替わるように、レストランや居酒屋に灯りが点いていきます。その道中、温泉旅館を何軒か通り過ぎるはずです。
辿り着いた先には、ガラスで壁一面が覆われた建物が待っています。水辺にすらっと構えた、まるで美術館のような佇まいです。それなのに夜も灯りが点いている。さらにおかしなことに、その建物に吸い込まれていく人の多くは、片手にカゴをぶら下げ、そこへシャンプーやタオルを入れています。この不思議な光景からお分かりの通り、美術館でないことは確かです。
せっかくなので地元民の背中を追いかけるようにガラスの建物へお入りください。そこには温泉の香りが漂っていることでしょう。この町では「総湯」と呼ばれる入浴施設が憩いの場であり、日々の疲れを洗い流してくれます。建物は人の生き方を物語っており、温泉とともに暮らす贅沢さを伝えています。
総湯からは、まるで絵画のような山並みや潟湖、空などを望めます。
お土産の温泉たまごが、朝食に情緒を。湯の街からの口福。
もうひとつ、贅沢な過ごし方をお伝えしましょう。片山津温泉の源泉からは、塩気のあるお湯が約70℃で湧出しています。その熱源を活かした食文化が、すっかりお馴染みの「湯の花たまご」(温泉たまご)です。ほんのりと塩の効いた、とろとろのたまごは総湯1階でお買い求めいただけます。これがお土産にうってつけなのです。醤油をかけ、炊き立てのご飯と食べると、ほかほかの懐かしい安堵に包まれます。そして掌に馴染んだ、愛用のお茶碗。これが温泉情緒あふれる朝食の召し上がり方です。
総湯の2階はカフェとなっており、ガラス窓の解放感あふれる空間で、柴山潟を眺めながら湯上りに一服できます。冬場には多くのカモが水浴びに夢中になっており、その鳴き声が大合唱となって遠くまで響いています。この水鳥たちのミュージカルは冬限定で、春には北へ帰ってしまいます。彼らは、旅芸人のような渡り鳥です。
総湯の浴室も、眺めがすこぶる良いのです。まるで絵画のような景色に心が奪われ、ついつい長風呂しすぎないようお気を付けください。美術館という比喩もあながち間違いではないと思います。ちなみに、片山津の湯は5分程度の入浴が推奨されています。
浴室は2種類あり、「潟の湯」は柴山潟に面した浴室で、浴槽と柴山潟と山並みが一体になったような開放感を味わえます。
一方「森の湯」からは庭を眺めることができ、木々が織りなす緑溢れる風景に癒されるのではないでしょか。これらの浴室は、男湯と女湯を交互に入れ替えながら、住民や観光客にも親しまれています。
この美しい建物を設計したのは、どなたでしょうか?
総湯は、地域を象徴するランドスケープとして、雄大な自然と、人の暮らしに溶け込んでいます。
その存在を唯一無二のものとして際立たせている2つの浴室「森の湯」と「潟の湯」は、片山津の景観そのものを想起させます。片山津という地名の通り、町の片側に「山」があり、もう一方に「津」のある風景を暗示しているようです。この2つの浴室が対となった、「山辺の湿地帯」を匂わせるような建築意匠。その設計者に興味をそそられます。
設計は、著名な建築家である谷口吉生(よしお)氏によって手掛けられています。数ある代表作から一例を挙げさせていただきますと「東京国立博物館 法隆寺宝物館」や「ニューヨーク近代美術館 新館」があります。数々の美しいミュージアムを生み出してきた建築家によって、片山津温泉の総湯が設計されたことを思うと、なんだか誇らしい気分になります。こうしたところにも共同浴場が美術館のように佇んでいる理由の一端が垣間見えます。
父である谷口吉郎氏も建築家であり、文化勲章を受章しており、生まれは石川県金沢市の九谷焼窯元です。石川県は九谷焼の産地であり、加賀市はその発祥地です。
この章のまとめ
見どころ | ・柴山潟の畔には、美術館と見間違えるほど美しい温泉施設がある。 ・2つの浴室からは絵画のような景色を眺められる。 ・その設計は、多くの美術館を生み出してきた谷口吉生氏である。 |
スポット | 片山津温泉総湯(石川県加賀市片山津温泉65−2) ※2階はカフェになっており、美しい眺望が特徴です。 |
駐車場 | あり |
お土産 | 温泉たまご |
備考 | 総湯での入浴時間は、5分程度がおすすめ。 片山津温泉は「高調性」であり、からだに温泉成分が浸透しやすいのが特徴。 その代わり、身体から水分が失われやすいため、短い時間でパパッと楽しみましょう。 |
海から潟への変遷。そして潟から農耕文明へ。
柴山潟は、生き物のゆりかご。神々しい朝日を浴びる。
朝、はるか遠くに連なる山々。日の出を迎えるこの場所からは、麓の霧も見渡せます。総湯から車を5分ほど走らせたところに、片山津温泉湖畔公園があります。潮津町という住所です。このあたりの地名には、港を意味する「津」、水辺を連想させる「波」「島」を冠した町名が多く見られます。そこには水への畏怖も感謝も見え隠れします。
柴山潟では、古くから漁が行われてきました。ここにはコイ、フナ、ウナギ、スッポン、テナガエビ、モクズガニなどが棲んでいます(※1)。こうした魚や貝、水鳥の宝庫は、長きにわたり漁撈や狩猟の場でもありました。狩猟などによって、人々はその土地を歩き回り、深い知識や多くの気づきを獲得していきます。伝承によると柴山潟で温泉が発見されたのは、狩りの最中でした。この辺りでは豊かな水を利用して、稲も育てられています。
柴山潟は、食糧と温泉の恵みを人々にもたらしてきました。こうした生命のゆりかごは、一体どのようにして生まれたのでしょうか。
柴山潟の誕生に迫る壮大な歴史
そもそも遥か太古の昔、柴山潟は海でした。いまでこそ潟湖の形となっているものの、数千万年前には浅い海や入り江といった景観が広がっていました。その海が塞がれ、巨大な水溜りを生み出すのは、たいへんなことです。
あの夕焼けに包まれた、幻想的な潟の誕生に至るまでには、途方もない時が流れています。そのルーツを辿るうえで欠かせないものが砂と風です。柴山潟がまだ海だった頃、川からは長い年月をかけ、大量の土砂が運ばれてきました。その土砂が波風の力によって、陸に押し戻され「砂丘」をつくるのです。
とりわけ日本海側では、秋冬の季節風に吹き曝され、大きな砂丘がいくつも生まれています。片山津近辺にある江沼砂丘や小松砂丘もその1つです。砂の陸地は、少しずつ成長し、やがては海と切り離されたところに、ラグーン(潟湖)が誕生しました。それはモンスーンという特異な気象条件によって運ばれた、風と砂が生み出した海跡湖です。
「柴山潟」の近隣には「木場潟」と「今江潟」も生まれ、それらは加賀三湖と呼ばれ、かつて川で繋がっていました。舟で移動する河川交通網が広がっていたのではないでしょうか。まさに「江沼(えぬま)」ですね。
潟湖と田園と温泉が隣り合う片山津
柴山潟は、海から潟へと変遷を遂げたのち、とある文化が流れ着きました。海から波の影響を受けない穏やかな潟湖は、新たな生命を育む「ゆりかご」になります。魚や貝の宝庫に、人が住み着くようになるのは、ごく自然なことでしょう。イネ科植物も生い茂っていたことと思われます。そこへ稲作が伝播しました。
2300年ほど昔の弥生時代には、柴山潟沿岸の湿地で、原始的な稲作が始まっていたのではないかということが発掘調査からも推測されています。稲作は、やがて柴山潟の上流域や山間部にまで広がり、農耕社会の基盤が形作られるようになりました。
そして江戸時代の1653年(承応2年)、温泉地の発端となる出来事が起こります。当時の殿様が「鷹狩り」で片山津を訪れた際に、柴山潟で温泉が発見されたのです。それから七転八倒を乗り越え、ようやく片山津温泉で旅館が開業しました。発見から200年以上あとのことです。
こうした背景から、片山津の特徴づける「潟湖と温泉街と田園地帯」の隣り合う景観が形成されました。冬場の田んぼでは、落ち穂を食べる水鳥の姿も見かけられます。おそらく人が暮らし始めるよりも、ずっと昔から江沼地方(加賀地方)を棲み処としてきた生き物たち。その生態系に配慮して、無農薬・減農薬でお米を栽培している農家もいます(※2)。自然と人が共存する世の中を模索している人たちが、ここ石川県加賀市にも暮らしています。
データ
概要 | ・湖畔公園は、朝日を眺められるスポット。 ・柴山潟は、太古の昔は海だったが、いろいろあって潟になる。 ・魚や貝や水鳥の宝庫であった柴山潟には、人々が住みつく。 ・そのうち稲作が伝播し、今では生態系に配慮したお米も育てられており、お土産におすすめ。 |
スポット | 柴山潟湖畔公園(石川県加賀市潮津町1) |
備考 | ※1 柴山潟で釣りを楽しむ場合は、漁期を守り、遊漁券を購入しましょう。 柴山潟漁業協同組合|石川県加賀市 (shibayamagata-gyokyo.com) ※2 無農薬・減農薬で栽培された「加賀ティール米」はECサイトから購入可能。 |
科学の本質に迫る中谷宇吉郎・雪の科学館
望遠鏡を旅行鞄に詰め込んで。
「望遠鏡と顕微鏡」は、旅を観光で終わらせない優れものです。そのレンズには肉眼では見えにくい世界が映っています。
はじまりの観察。科学の出発点が「よく観ること」であるという教訓は、イタリアの天文学者であるガリレオが教えてくれます。1609年、望遠鏡の制作を終えたガリレオは、天体観測に没頭していました。それから、わずか3ヶ月程後のことです。彼は『星界の報告』を刊行し、月の表面には山や窪みが満ちていることを伝えています。天の川、そして木星の衛星などレンズに映し出された宇宙像は古い常識を覆し、やがて太陽中心説を裏付けていきました。観察によって、ガリレオは新常識の扉を見つけたのです。
遮るもののない柴山潟の夜空は、天体観測にはうってつけ。望遠鏡一式を旅行鞄に詰め込み、夜空を眺めることで、宇宙よりも広い好奇心が芽生えることでしょう。
もしも望遠鏡のご用意がむずかしい場合は「中谷宇吉郎 雪の科学館」を訪ねてみては、いかがでしょうか。
ガリレオは望遠鏡によって星空を観測しましたが、日本には顕微鏡から気象を推測した科学者がいます。雪博士・中谷宇吉郎は、顕微鏡に映った雪の片鱗から、空の状況を読みとれると言っています。
顕微鏡から空を観た雪博士とは?
片山津温泉は、ある偉大な科学者の出生地でもあります。柴山潟のすぐそばで育った少年は、のちのち雪を研究し、世界で初めて人工雪をつくりました。それらの研究によって明らかになった、雪の美しくも不思議な姿を実感できる場所が「中谷宇吉郎 雪の科学館」です。そこには子どもから大人まで科学に親しめる工夫がなされています。
雪は多くを物語ります。その1つが気象。天空で生まれた雪の結晶が、多様性に富んでいる理由は、複雑な気象条件に隠されています。その研究もまた、観察から始まりました。
顕微鏡に映し出された雪の結晶は、さまざまな形をしていました。樹枝状や針状、角柱、角板など、当然、科学者はそれらを分類せずにはいられません。やがて雪を作る実験へと、博士の興味は移り、人工雪に没頭していきました。
やがて中谷宇吉郎は、雪が形成されるメカニズムを解明しました。それはつまり、どのような形の結晶が、どのような条件下で生まれるのかを突き止めた研究でした。そのデータに基づいて、雪の結晶を見ることで、わたしたちは空の状況を推測できます。 「雪の結晶は、天から送られた手紙である」という言葉を、中谷宇吉郎は『雪』のなかで綴っています。多くの随筆も残しています。雪博士の足跡を辿ることで、科学する姿勢と文学に遊ぶ心に触れられます。
100年後の骨董品と巡り合うクラフトツーリズムで、九谷焼を探す。
何気ない焼物が、かけがえのない骨董品になる体験。
1900年に生まれた雪博士・中谷宇吉郎の生家は、呉服屋雑貨の店でした。小学校に入学したころ、とあるおじいさんの家に下宿しています。その家は、九谷焼の名工・浅井一毫のお宅でした。
この地域に、深く根ざしている九谷焼。町には工房やギャラリー、茶碗屋さんがいくつもあります。そこには未来のビンテージ品も眠っています。100年後の骨董品を探し求める旅、それがクラフトツーリズム「窯元探訪」です。「道具を末永く大切に扱いたい」という想いに応えるために、はじめました。
クラフトツーリズム「窯元探訪」でできることとは?
工房へ訪ね、陶芸家と語り合い、九谷焼に巡り合う。これが窯元探訪の基本プログラムです。
芸術的な感性を持つ職人・作家との交流はインスピレーションに富んでいます。些細な言葉が胸に響き、それが長い時間をかけて熟成され、モノの考え方や人生観を変えることがあります。
じわじわと胸の熱くなる物語を紡ぎながら、かけがえのない焼物を見つけましょう。はじめは何の変哲もない器かもしれません。けれど温泉よりあたたかい愛情が、かけがえのない骨董品を生み出します。
どんなビンテージ品も、最初はできたてほやほやの新品でした。もしかしたら倉庫のなかに眠っていた埃だらけの掘り出し物だったかもしれません。いずれにせよ、それを発掘し、愛情を注いだ人物がいたのは確かです。
そのひとりになってみませんか?というのが窯元探訪のご提案です。
データ
概要 | ・加賀市内には、九谷焼を購入できるお店がいくつもあります。 ・クラフトツーリズム「窯元探訪」は、工房を訪れ、作家や職人から品物を買う仕組みです。 ・陶芸家との交流を通じて、100年後の骨董品を探します。 |
スポット | 片山津地区を含む、市内各地のどこかの工房。 ※ご希望に応じてご案内。 |
備考 | 申し込みはこちらから |
編集後記
今回、つらつらと片山津温泉について綴ったことには、ある理由があります。クラフトツーリズム「窯元探訪」は、単なる工房見学ではなく、100年後の骨董品を見つける旅です。その旅の舞台である、温泉地の世界観ごと味わってもらいたいと思い、ここに記しました。そこで出会う人と物語、それらが焼物に詰め込まれているのです。
旅を奥深くする本
中谷宇吉郎『雪』(岩波文庫 1994)
ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』(講談社学術文庫 2017)