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<地域レポート-01> 春蘭の里を訪ねて
恵み豊かな能登の山々の真只中に"春蘭の里"があった。まず中本会長さんのお宅に伺い、昨秋から取り組んでいる全国の春蘭マップ作りで集めた全国各地の春蘭を見せていただいた。微妙に花の大きさや色合いが違う。焼きが入った素朴で芸術的な竹製の鉢や植木鉢がズラリと並んでいて花を付けている。 |
次に"春蘭の宿"に行った。大きな囲炉裏が切ってあり、炭火が赤々と燃え、メンバーが次々と集まってきた。能都町の元気印の七人衆だ。炭を焼く人、ごりを採る名人、水墨画を描く人、木工にたける人等々、それぞれの特技を生かしながら中本会長を核に見事なスクラムを組んでいる。自分たちが住んでいる地域を少しでも良くしたいという熱い思いが伝わってくる。
畝を高くし、黒い日除けのしてある春蘭栽培用の畑にも行った。傍らの温室小屋も全て自分たちの手づくりだそうだ。その後、山に案内される。遠くに立山と海が望め、いろいろな野菜が植えてある畑の横には、高床のロッジがあった。水道も電気もないが、小さな囲炉裏と燭台と床下にたっぷりの薪があり、水は近くのせせらぎから汲めるそうだ。鳥の鳴く声が聞こえ、太古のやさしさに触れたような気がしてくる。山中を歩けばシイタケ栽培の木が並び、自生のイワカガミ、夏ハゼ、タラの芽、ワラビ、ミツバ等、花木や山菜の宝庫となっている。山道を歩く人の目の高さに植えてある春蘭も、実に心憎い配慮である。 |
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再び"春蘭の宿"に戻り、七人衆の奥様や御母堂様の心尽くしの見事なお料理をいただいた。どれもこれも美味しく、宝の山の頂き物と手のぬくもりに感動した。心安まる豊かな自然に目を向け、守り、育て、生かし、ここを訪れる人を真心で迎える姿勢に深く感銘を受けた。いつまでも大事にしたい、日本のふるさとのような地であった。(林 弥子/まれびとピア懇話会) |
<地域レポート-02> 春蘭の里は「真心の里」
現地でこれ程、心の込もった熱い歓迎を受けたことはない。お話の一つずつ、案内していただいた事柄の一つずつ、お料理の品の一つずつに真心が込もっていた。商業的価値を云々する以前に、私は価値そのものに感じ入ってしまった。
私は、美川で淡水魚「はりんこ」の保護のボランティア活動をしているが、活動の中で「情報」の本来の意味である「情に報いること」の大切さを痛感した。情報とは、生きた人間が送受信すること。心の込もったやりとりが大切なのである。例えば、ある人の頑張りがあって、それを感じ取った自分の心が動くのである。春蘭の里で、私はそれを感じ取った。 |
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さて昨今、環境問題で地域の「持続可能な発展」ということが叫ばれている。春蘭の里の取り組みも、この方向を目指しているといえる。前置きが長くなったが、私達が訪ねた一日について具体的に述べて、様々な皆様に是非ともご自分の目で、能都町の春蘭の里を確かめて欲しいと願っている。
春らんまんの好天に恵まれ、私達は往路快適なドライブを楽しんだ。春蘭の宿(定員10名)の、囲炉裏のあるお部屋でお話を伺った。後で春蘭の自生地や栽培用の畑、手の込んだ竹製の鉢も見た。春蘭の道を歩きながら、シイタケを自分の手でもいできた。
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宿に戻って、谷本知事も口にしたという春蘭のおにぎりや山菜、きのこのお料理をいただいた。天然のごりの甘露焼、山女(ヤマメ)の塩焼きも。この焼き加減は、素人の域ではなかった。私はおかわりが欲しかったが、取材なのでお上品にふるまったため、おかわりはなかった。損をした。山菜好き、魚好きにとって、自然の恵みをいただいたことはこの上なく楽しかったが、問題がないわけではない。 |
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ここは、大挙して押しかけてもらう所ではない。「仲間」が集う所だ。その点について「はっきり」させる事が一つ。もう一つは、収支のバランスの点について。十分に伺う時間がなかったが、この2点が気になった。しかし、全体としては、能都町(現・能登町)らしい町づくりについて、「持続可能な発展」を考えつつ、その「形」を探し求められている姿に感銘を受けた。
すなわち、春蘭の里は「真心の里」なのである。この言葉に春蘭の里の人々と私達の思いを託して、私の報告とする。(中正 進/はりんこ塾) |
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