-- 八尾文化会議に参加されていた時のお話で、印象に残っていることは?
島崎さん◆印象に残っているのは、町並みの話ですね。
-- 今はきれいな諏訪町も、あの頃の写真を見ますとトタン壁の建物などが目立ちます。やはり文化会議が一つの契機になったんですか。
島崎さん◆それは間違いないですね。あの頃はまだ手付かずの状態でした。話はそういう方向を示していたんですが、私らは「そんなことは出来るわけなかろう」ぐらいにしか思ってなかった。それが、こんなに早く形に現れるとは。何度も言い続け、やり続けると、結果につながるということがよう分かった。
-- あの文化会議は町が主催した事業ですよね。出たご意見を具体化するための議論の場にも出られたんですか。
島崎さん◆分科会に出ていました。その後、「八尾町HOPE計画」という住宅づくりのガイドラインの中で、町並みの復元等が提唱されています。その時分は「再生」という言葉は使っておらんかったけどね。
-- HOPE計画はどのように作られたんですか。
島崎さん◆委員会みたいな形で、建築、中核工業団地の関係者、商工会、役所などの人が集まり、いろんなテーマで話をしました。私は建築の関係で途中から呼び出されました。 |
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家々のたたずまいも
町並みをつくる |
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-- 「八匠の会」はその頃につくられたのですか。
島崎さん◆「八匠の会」は、「ウッドタウン」を作ることがきっかけで生まれた。HOPE計画だけではなかなか大変だということで、ウッドタウンという建設省の事業に取り組むことになったが、まったく何も分からん。そこで、私らみたいな小さい工務店のまとめ役として、富山県の建築組合の中に富山県住宅協同組合という母体をつくった。でも、それは全県下が対象。「そうじゃなく、八尾の工務店だけでやらんか」と、八尾の八に因んで「八匠」という名前にした。八匠に入っているのはみんな親方だから、十人ほどしかおらんよ。たとえば、うちの工務店も十何人かいるけど、それは八匠のメンバーとは言わん。
-- ウッドタウンは八尾町の事業ですよね。
島崎さん◆HOPE計画に、八尾型の住宅団地、町並みの復元をはじめ、井田川周辺景観整備など五つの柱があった。最初は「そんなもん、できる訳がない!」と思ったが、今ではほとんど実現している。
でも、その時分すでに在来工法をやっていたけどね。当時は、新しい工法の家がどんどん建っていたから、「今頃こんなものを建てて」と笑われた。
-- HOPE計画ができる前に、すでに在来工法家を希望された方がいたんですか。
島崎さん◆施主さんは諏訪町で三味線をされている、おわらの先生。「こんな家が建てたい。できるか」と言われ、「できる。おらっちゃ、そっちのほうが得意なんや」と。
-- おわらをやるには、在来工法の空間のほうが、音の響きとかが良いわけですか。
島崎さん◆そうらしい。私はそちらの専門家じゃないからよく分からんが、あんまり広くなく、界隈の家のような狭い空間、あの範囲が良いみたいやね。
-- ずっと一貫して在来工法の家づくりをされてきたんですか。
島崎◆いや、逆にいろんな建築を先駆けてやったほう。今でも無いくらい派手な家も建てた。いろんなことをやったんだけど、実際、木造の家のほうが職人としては面白い。技術的に難しいし、ごまかしはきかん。商売としては面白くないかもしれないけどね。 |
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歩くだけで風情が
楽しめる諏訪町通り |
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-- 新しい工法の家づくりは、どれくらいされていたんですか。
島崎さん◆独立した時分に五年程。それは水はけや空気の通りが悪く、早く傷んでしまう。そんな造りじゃ仕方が無いこと。
八匠の会で勉強会をして分かったのは、百年もつ家にする時は、百年経った家の作り方を見れば良い。どういう家が長もちしているか直ぐ分かる。無理して勉強せんでもいい。今の家と比較しても、違う造りだ。
-- 八匠の会の最初の頃は、百年以上経っている八尾の家を順番に見ていく活動をされたそうですね。二年間に集中的にいろんなことを勉強されたんですか。
島崎さん◆そう。八のつく日を中心に一週間に二回ぐらい集まって、二百回以上やったかな。県との協議もいろいろあった。自分はすでにその時伝統工法をやっていたから、技術開発部長をやりました。住宅金融公庫の建物も、金物を使わない伝統工法で建てていた。最近は、そういう伝統工法についての講演を頼まれるようになったんだから、世の中変わったなと思います。
-- 今日も講演ですか。
島崎さん◆いや、今日は学校で指導。NHKの未来派宣言で取り上げられた時はすごかった。東北の大工さんが「夕べテレビ見て、すぐ家を出ました」、と、放送された翌朝十時頃ここに着いた。世の中変わってきたんだなと思った。八尾は良い風に変わってきている。
-- 八尾は大工さんの数が多いんですか。
島崎さん◆他の町からみたら多いね。でも、かなり減ってきてる。昔は各町に曳山大工がいた。 |
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-- 新たに入って来る若い人はいるんですか。
島崎さん◆最近また増えてきたね。昔から、不景気になると職人が増えるという法則があるらしい。小学生のなりたい職業のトップにきてるしね。「中学校で話してくれ」って言われることもある。
-- 八尾は町並みが出来てきて、そういうものを作ることに価値があるという意識になってきていますよね。
島崎さん◆ありがたいことに、八尾にはおわらと曳山がある。それが無かったら、ちょっと分からんね。
-- あの界隈の方は、条例も無いのにあのような家を作られますよね。
島崎さん◆逆に無いほうが、お互い知恵を絞ってやる。町がいくらか補助したとなると、みんな変にそれを当てにして、こういう風にはいかん。自主的に「自分達の町だ」という風になっている。
-- それでいて、家それぞれの特色もあります。諏訪町の家もデザインが変に統一していなくて、住む人の想いが表れています。色も同じトーンを使っているんですが、微妙に違う。飛騨高山とも長浜の黒壁とも異なる。
島崎さん◆条例による規制を、どこまで強くすると、人に心地よい町並みがつくれるのかは、一概に論じられることではない。まあ難しい問題だわ。
-- 八尾では、住民の皆さんに、「我が町に対する想い入れ」があるのと、一方「それを受けて立つ技」を持った皆さん方の存在が、やっぱり大きいんじゃないですか。
島崎さん◆八尾は、そういう意味では良い時期だったかなと思う。今度、日曜の夜七時からの「鉄腕!DASH」という番組でも、DASH村づくりを手伝うことになった。「これから秋頃まで、いろんなところに出てくれ」と言われている。
-- 大工修業ですか。今までは畑を作ったり、炭を焼いたりしていましたね。
島崎さん◆こないだ山口達也くんに一日教えた。山口君は器用だわ。まずは練習として犬小屋を、「釘使わんと作れよ」と。それを今度、私と学校の紹介も兼ねて放送してくれる(平成十三年一月二十一日放映)。最終的に、秋には小さい家を建てようということです。こんな番組もきっかけになって、大工が増えてくれればと思う。 |
豪華絢爛な
曳山は
技の集積
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-- 弟子入りしたいという人は増えてるんじゃないかと思うんですが、おいくつぐらいの年齢の人が来るんですか。
島崎さん◆弟子入り志望者はすごい数がきたが、「学校に入らないと駄目」と言うてきた。学校は六割が大学出身者。大学院まで出たとか一級建築士の資格を持ってる者もいる。「一級持っとって、なんで来るんや」と言うたら、「だって、全く分かりません」と。一級持ってても、木造の住宅づくりは分からないんや。
-- 知識は溜めても、ものは作れないということですね。
島崎さん◆就職する時に、私らがやっているような仕事をやってみたいと思って探しても、そんなもの、そうそう無いわけだ。俺にしても最初からこうだった訳や無い。やりたかったら一遍どんな仕事でも良いから経験して、最終的に自分でやるしか道はない。人に使われるようじゃ、使う人の言うことを聞くばっかりで、どうにもならん。
-- それにしても、大学出身の人がそんなに多く来ているとは驚きですね。
島崎さん◆最初は高校の卒業生がメインだったが、だんだん大学卒が増えてきた。生徒の二割は女性。女性のほうがやる気になってきてるね。さっき話した一級建築士も女の子。面白い世界になってきたぞ。
-- 毎年どれくらい入って来られるんですか。
島崎さん◆一学年に四十人が定員。それ以上はどうにもならん。でも五十人くらい来るけどね。二年制だから計百人。二年目にはお客さんの家を教材用に受注したり、結構すごいものを建てている。造園、家具、建築の三つの科の学生をグループにして、庭も全部含めた設計をワークショップで競争させ、三つのグループから一番良い設計プランをお客さんに選んでもらって建てる。
-- それは面白い。今から予約しておけば、何年後かには順番が回ってくるかもしれませんね。
島崎さん◆可能性はあるね。たとえば、今、砺波で作っているのは、小学校時代の恩師が寺の庫裏を建てるときに「何とかならんかい?」と言われたもの。五十人いれば、柱が百本あっても、一人二本作れば一日で出来てしまう。金物は一切使わない。
-- ものをつくる産業が空洞化していますから、こういう機関が増えるのは良い事ですよね。「未来に技を伝えていく」という意味で重要です。学費はどれくらい掛かるんですか。
島崎さん◆学費は年間百万円ぐらい。材料を結構使うからね。一年生の間は、継ぎ手や木の組み方など、一年間、焚きもん作っとるようなもんや。でも、それをせんことには次へ進めん。
-- この専門学校は富山県がやっているんですか。
島崎さん◆いいえ、私立です。
-- 学生は全国から来てきているんですか。
島崎さん◆沖縄から北海道まで。筑波、早稲田、慶應、東北大学出身者もいるね。 |
金物を全く使わずに木をつなぐ
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-- 指導でも活躍されていますが、これまでに何軒ぐらい家をつくられたんですか。
島崎さん◆年間に四〜五軒で、この道四十年になった。一〇〇%新しいのは少ないくらい。
-- 古い家を活かしながら作ることが多いんですね。
島崎さん◆どのように使えるか、バラした状態で考える。今は世間では、「再生」にこだわるけれど、わしらのは古材の再生じゃない。「新しい材より、よほど丈夫だから使う」というだけだ。それをどうして「古材」と言うのか。そういう見方をされることも変だ、という感じはするなあ。
-- 古い材、「古材」という概念そのものに、ずれがある。
島崎さん◆言葉はそうだけど、「本当はそれだけの値があるもの」を、もう一度使っているだけ。「捨てるのが勿体ないから再生しよう」というのじゃない。
-- 逆に百年たった木の方が強いとか。
島崎さん◆まったくその通り。私らにしたら普通のこと。
-- 木というのは、活かし方によっては百年単位でもつんですね。
島崎さん◆今すぐ腐る材と、百年もった材の違いを分かって作ればそうできる。百年経った木は乾燥の具合も良いし、狂うだけ狂うとる。それでもケヤキなんかは、百年経ってもまだ動く。 |
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伝統建築が見直され、
テレビ・雑誌でも
盛んに特集が組まれている |
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-- ケヤキはどれくらい経つと動かなくなるんですか。
島崎さん◆多分、五百年ぐらい経たんとダメじゃないかな。一番良いのは吹きさらっし。自然状態だ。生活しづらい面はあるかも知れんが、長もちする。囲ってしまうと呼吸できんから、どうしても腐ってしまう。
-- 木は生きてるということですね。
島崎さん◆まったく生きとる。昔の人はよく考えて、地域性に相応しい家を建てている。日本では屋根から先にする。床からやったら雨に合わん訳無かろうし、雨に合うたままで囲ってしまうと乾かない。ベニヤならすぐダメになる。ベニヤでがんがんに囲ってしまう丈夫さと、揺らしておいてもってきた丈夫さとは違うもんだ。
-- 揺らしておいてもってきた、というのはどういうことですか。
島崎さん◆昔の建物は、でかい空間で開口部もでかくて、中に指貫が入っているだろ。この指貫が丈夫だった。それがずーっと通ってるから、地震が来てもぐねぐねとし、反発する力が無い。筋交を入れると、途端に金具を使わなくちゃならんし、その一点にものすごい力が掛かるから、いろんな金具を使う。でも、一回動いたら終り。今の家はベニヤの厚い合板を張るけれど、それも、面が強すぎて揺れに反発する。丈夫すぎると言ったらおかしいけれど。
-- 柔構造では無いということですね。
島崎さん◆基礎にも留めないことが、一番丈夫だと思う。 |
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天井に太い梁が組まれた
在来工法の家づくり |
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-- 根曲りの木というのは強いんですか。
島崎さん◆強いし、使いやすい。桜町遺跡でいう「渡腮(わたりあご)」というやつで、曲がってないと組みにくい。しかし、洋材はほとんど真直ぐだし、日本の杉も、曲っていると「使えん」と言って、山で全部捨ててくる。使えるのに使えんようにしてしまったんだ。
今、森林組合に、「そういうものは全部付けて持ってこないと駄目やぞ」と言っている。「でなければ、タダでくれると言っても要らん」と。
-- 森林組合に言えば、対応してくれるんですか。
島崎さん◆長さも、トラックの都合で全部四メートルにして運び出していた。でもこちらは、設計に合わせて材木の長さを注文し、それで初めて木が組める訳であって、最初から四メートルに切ってしまうと欲しいものが無い。今は使い道が問題になってきて、森林組合が製材所を持たんといかんようになってきた。これができれば、売れ行きも違うだろう。
-- 木を考える際に重要なのは、地域で育った木で家を作ること。これが理想ではないですか。昔の家に使われている木は、周辺で育った木を使っているはずです。
島崎さん◆それが一番良い。堅い木ほど冷たいし、柔らかい木は温かい。木の温もりと言うが、気泡があるほど断熱効果があって、あったかい。
-- 土壁も減っていますよね。
島崎さん◆うちは殆ど土壁に変えた。プラスタボードや下地に塗ったりして、お客さんの要望に応えている。土壁と木製サッシの特許まで取った。
-- 富山で木製サッシを作っている会社もありますよね。
島崎さん◆あるけど、私らの建て方に合うサッシじゃないから、やっぱり自分で作るしかない。
-- この建物(島崎さんの事務所)も金具を使っていないんですか。
島崎さん◆床を留めるのには使っているけど、構造自身には使っていない。使うと見えてくるから。
-- 築八十年の家を移築された、と記事にありますね。
島崎さん◆八十年だからまだ新しい。宮田旅館なんか三〇〇年経っている。八尾に無かった床机板を付けたら、観光客が写真を撮るのにそこを使っているようだ。 |
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-- 最後に、これから大工さんを目指してくる人達に期待することは?
島崎さん◆挑戦する気があるかないか。うちの学生みたいに、「ここでなければ」という気持があって、その気持ちが仕事につながっていけば、それに越したことは無い。だけど、そこへたどり着くまでの努力をやるかやらんかの話じゃないかな。
在来工法の家を求めているお客さんは多い。ただ、「滅茶苦茶高いものだ」とか、「私らの手の届かんもんだ」と諦めている人が結構いる。
今、なぜ再生と言われるようになったかと言うと、地球環境の問題から。経済で考えたら、家が百年もつよりも、二十五年で建て替えてくれたほうが良いと思われた。でも、本当はそうじゃなかった。木は育たんし、ゴミの山は残る。十何年前に「こんなこと続けてたら日本海が埋まるぞ」と言うたことがある。その人達に言わせれば、新しくつくる方がしっかりしていい」と。流れていけば、そんな簡単なことは無いんかもしれんが、あまりにも私らのやってきとることが、無視され過ぎてきた。
-- とにかく、こういう伝統工法の家を沢山作っていくことですね。
島崎さん◆そうでしょうね。見本になる、後に残るものを作ることです。
-- 諏訪町をはじめ八尾の町がきれいに変わっていくことが、一番良い教材です。
島崎さん◆これからもっともっと変えたいな。[・・・以上、八尾風便り[二](2001年発行)掲載分より抜粋して抄録] |
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古さを活かして改築された
宮田旅館 |
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聞き手:高峰博保[グルーヴィ] |
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