「八尾風便り」web版 その六
2003.07.23Update
胡弓と三味線の音色が聞こえる坂のまち


味噌が美味しかったらまた注文が来ます
東京でのキャリアを経て、八尾に戻ってからは収入役として町政を支えた。地元企業のトップとして地域経済の発展にも尽くした。その後に選んだ生業は、八尾の食文化の基礎となる醗酵調味料づくりの蔵を守り伝えていくこと。

平野 嘉一さん[仁市商店]
醤油味噌醸造元
仁市商店(にいちしょうてん)

〒939-2342 
八尾町上新町2786
TEL&FAX 076-455-2045

プロフィール
平野嘉一[ひらのかいち]

大正十五年八尾町生まれ。大阪大学工学部通信工学科卒。逓信省工務局、電々公社、科学技術庁計画局等を経由、昭和四十四年、父の死亡後電々公社退職、仁市商店代表となる。現在、(株)越中紙社取締役、日本エレクトロニクスサービス(株)取締役、(株)ソフト監査役、富山県味噌醤油工業協同組合監事、富山県味噌協同組合理事。









風格のある
看板


坂のまちアート
で古い空間に
新たな顔が


 ―― こちらの蔵はいつ頃から続いておられるんでしょうか。
平野さん◆おそらく明治の前、といいますのは、一番奥の蔵を壊した時に、柱に「明治四年、大工何某」と書いてありました。だから、少なくともそれ以前からやっておったんだと思います。
 小学校の時の記憶では、八尾には六軒ぐらいの醤油屋があったように思いますね。

02-江戸末期からの町家の蔵
 ―― 「仁市商店」というお店の名前はどこから。
平野さん◆曾祖父の代まで続いた「仁歩屋市右衛門」から「仁市(にいち)」と屋号をつけたものと思います。今の八尾町仁歩(昔の仁歩村)から出てきたのではないでしょうか。「仁市」は私で十二代目です。
 大正十五年に発刊された「八尾史談」には、当時の居住調査が書かれており、明治元年から同じ地所に住んでいる家は少ないけれど、うちはずーっとここにいたらしい。そういう意味では古い家かも知れませんね。
 ―― 今でも十分古い感じで、この界隈では一番目立つ存在ですよね。
平野さん◆道路拡張の時に、皆さんは前を切ったわけですが、うちは店を壊して引っ込めた。ですから、家が三尺か四尺狭くなっています。その時にそのまま使った古材が相当あるんだと思います。
 ―― 入口が曲線を描いて、典型的な町家のデザインで、てっきり江戸ぐらいからこの建物のままかと思いました。外観からはそれくらいの風格が感じられますね。

03-高山でみつけた江戸期の商いの足跡
 ―― 住み込みの人はいつも何人もいらっしゃったんですか。
平野さん◆昔は五、六人おりましたね。泊まりこんでおる従業員が囲炉裏の周りで酒盛りをして、夜遅くまで話しておったのを記憶していますね。現在の従業員は四人です。
 大じいさんの頃は、蚕、たね繭を扱っていて、しょっちゅう高山から岐阜の方へ行っておった。ですから、道中刀が何本かとか、その時の日記も残っております。
 ―― それは江戸時代ですか。
平野さん◆江戸時代ですね。私が小さい時にも高山に支店を出しておりまして、「大新町 平野支店」と書かれた徳利も残っています。高山の古道具屋で見つけて買ってきました。
 ―― かなり広い範囲に商っておられたんですね。

04-八尾の醤油は甘口に特徴
平野さん◆醤油は、甘い、辛いで大きな仕分けができる。富山も呉西は甘さが強いようです。うちは辛口と甘口醤油と刺身醤油、それから薄口醤油を作っておりますね。
 JAS規格でいう特級の「あけぼの」と、上級の「旭醤油」という、いわゆる濃口醤油の甘口醤油が、多くなっています。
 何と言ったってキッコーマン一社が、親の時から全国生産量の四分の一を持っている。独自なものにして対抗するために、甘口醤油はどこでも多くなっておりますね。

05-子どもたちも醤油が変わると分かる
 ―― お客様の嗜好がそういう風に変ってきた、ということですか。
平野さん◆「たまに他の醤油を使ってみたら、子どもが嫌だと言うので、学校に入っているお宅の醤油をとるんですよ」と言われるお客様もいらっしゃる。
 ―― どこが違うんですか。
平野さん◆原材料はほとんど違いませんね。添加物もあまりない。防腐剤も入れない。
 甘味をとるための蜜とかぶどう糖、天然のものを入れております。

醗酵調味料は
食文化のベース

06-地域の食文化に合わせた醤油味噌えらび
 ―― 醗酵という観点からすると、地域の気候風土の影響で微妙に味が違うのではないかと思うのですが。
平野さん◆最近は、やろうと思えば、醗酵する醸造蔵を冷暖房できる状況ですから、そう大きな差にはなりません。
 むしろ地域の食材の利用の仕方が影響する。煮しめを作るのも、素材の色彩をそのまま出したければ、自ずと使う醤油が違ってきます。京都方面と東京では違いますよね。ただ、長い歴史の中で地方の味が作られてきたのが、だんだんと崩れつつある感じがします。

07-富山の味噌は全国で好まれる
 ―― 店頭に買いに来られるお客様は多くいらっしゃるんですか。
平野さん◆少なくなりましたね。近所の方と、観光のお客さんはやはりございます。発送では、「お宅の醤油が美味しかったから、是非送ってくれ」と注文が入ったりします。あるいは、「料理屋をやっているんだけど欲しい」とか「お歳暮に少しずつ送ってくれ」と。美味しかったら、また注文がきたりします。
 味噌も北海道や九州にも出ますが、それは八尾にゆかりのある方が多いですね。業界でも全国のどこにどれだけ流れているか、数年前から調査を行っています。
 ―― 富山産の味噌がどこに行ってるか分かるとは、面白いですね。
平野さん◆醤油は限られますが、味噌は広い範囲に流れています。

08-味噌は商品の特徴が出やすい
 ―― それは何故でしょう。醤油は企業のパワーが市場を押さえているけれど、味噌は、地域の企業が頑張っているのか。
平野さん◆商品として、味噌は地方の特色が多いんではないですか。醤油は麦、豆、塩水の比率がほぼ違わないけれど、味噌はバラエティに富んでいます。大豆と米糀だけで作るものもあれば、大豆だけのもの、大豆と麦で作るものもある。割合によって旨味も違う。

09-熟成した味噌は色が濃く香りがよい
 ―― 味噌は何種類ぐらい作られているんですか。
平野さん◆すり味噌と、いわゆる糀味噌とありますが、原材料の品質による分類やブレンドの比率によって、六種類位ですかね。色は濃いです。
 ―― 色の濃い方が美味しいんですか。
平野さん◆最近の三ケ月や四ヶ月で出す味噌は、米の糖と大豆が分解したアミノ酸との反応による味噌独特の匂いがあまりございません。相当熟成しないと味噌らしい「香味」は出てこないんです。色の濃いものの方が、熟成していて香りが良いですし、美味しいですね。[・・・以上、八尾風便り[三](2002年発行)掲載分より抜粋して抄録]

聞き手:高峰博保[グルーヴィ]







↑家訓を示した
「仁市家憲」の額



醤油蔵には
香りがあふれている→


木桶で味噌が
熟成する






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