◆ 港町にあるのが、能登の造り酒屋の特徴
能登の造り酒屋のほとんどは、海沿いの港町にあります。同じ石川県でも、南の加賀地区では肥沃な加賀平野の田んぼの中に酒蔵があって、いわば米の産地で加賀の酒が造られているのに対して、能登の酒は港、すなわち酒の消費地で造られているんです。今風に言うなら、“消費者と生産者が、顔の見える関係にある”といったところでしょうか。
うちもその一つで、蛸島という港町にあります。漁師町で、酒呑みの多い土地柄だからやってこれました。櫻田酒造の酒を、地元の人から贔屓にしてもらえて、本当にありがたいと思っています。
◆ 人口は少ないが、能登には造り酒屋が多い
もうひとつ、日本酒と能登のつながりの深さを示す指標があります。酒蔵の数です。能登にある造り酒屋の数は15軒。石川県全体で33軒あるうち、約半分が能登にあるんです。能登の人口が県全体の約20%に過ぎないことを考えると、能登の酒蔵密度の高さが分かります。
能登では、地酒やその造り酒屋が、能登の人々の生活に深く根付いています。 |
◆ 能登の酒の味は、地元の嗜好で成長してきた
櫻田酒造も含めて、能登のひとつひとつの造り酒屋は規模が小さいです。うちの「大慶」や「初桜」などの銘柄も、県内の金沢でさえもあまり目にされないと思います。これも、全体の製造量が少ない上に、ほとんどを地元で消費しているからです。
一方、だからこそ能登の酒は自然と、地元の人の好みに合った酒質になります。うちの酒は、日本酒度(甘辛度)が±0の中庸タイプで、味に厚みがあります。こうした酒は、新鮮な魚介類とともに晩酌でやると旨いです。漁師町のニーズに合わせた長年の変遷でたどり着いた酒でしょう。
その土地の食卓が見えてくるような酒、それもまた、能登の酒の特徴です。 |
◆ 能登杜氏が励みとする最高の名誉とは
そうした能登の酒ですが、これを醸しているのが能登杜氏です。能登杜氏の数は約90人。兵庫県の灘、京都の伏見などの名だたる名酒の産地はもとより、滋賀、静岡など全国各地で活躍しています。冬の間は日本各地の造り酒屋で働き、春になると自分の造った酒を携え、能登に帰ってきます。
その自慢の酒を持ち寄って、「能登杜氏自醸酒品評会」が開かれます。100年前に始まり、いまも続いているこの品評会で優等賞をもらうことが、能登杜氏には最高の名誉です。
能登杜氏の酒が旨いのは、このような努力を営々と続けてきているからです。自分も、この歴史ある能登杜氏の一員として励んでいます。 |
◆ 手間はかかるが、こだわりの酒に切り替えた
先代社長である父は、糖類添加の酒を止め、全ての酒を、米の味を楽しむ本醸造や、純米酒に切り替えました。原料費が高くなりますが、旨い酒を造るために英断を下しました。
自分の代には、自社の田んぼで酒米の栽培を始めました。その米で純米酒を造り、数年間熟成させて、新銘柄として販売もしました。
これも、より手間のかかる道ですが、酒蔵が小さくて小回りが利く分、その小ささを強みに変えることが大事だと思っています。
◆ 能登杜氏の最年少としてスタート
櫻田酒造は、1914年(大正3年)にこの地で創業し、以来90余年、自分が4代目です。いまは両親と妻と自分、家族4人で酒を造っています。酒蔵の経営者である自分が、酒蔵を仕切る杜氏の役割も自らしています。自分が杜氏になったばかりの頃は、最年少の能登杜氏と言われました。その後、輪島市の白藤酒造店や富山県氷見市の高澤酒造で、若い能登杜氏が誕生していますので、能登杜氏の世代交代の道を拓いたと言う人もいます。
◆ 涙が出るほど美味い酒
銘柄の「大慶」の名前は、地元では大漁の時に「大慶な」と言って喜ぶところから名づけたということです。おめでたい方言をうまく使った、地酒らしいネーミングになっています。
本当においしい酒を飲むと、涙が出ます。能登の酒屋として、そんな酒を造ってみたいというのが夢ですね。 |
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