情報誌「MyPage」バックナンバー
▼編集後記
情報誌  編集後記
最終号発刊にあたり、
編集に関わっていただいた方々から原稿をいただきました。

最終号の発刊に寄せて 運営委員長/大湯章吉(能登乃國ゆするぎ塾)

 「1月2日のロシアタンカー沈没・・・」VOL.0創刊準備号の巻頭特集でスタートしたMyPageは、10年にわたり協会の足跡を記し最終号を迎えた。
 MyPageは、協会の羅針盤として大きな役割を果してきた。当時の編集は情報部会が担い、県内外を問わず精力的に取材活動を展開してきた。そして、時代を先取りする情報や話題の人物を多く登場させてきた。更には、取材を担ったメンバー達は、生きた情報を団体活動に取り入れ、県内屈指の活動に発展させてきた。また、取材を通して全国的なネットワークが生まれ、協会の財産になっている。
 今後は、MyPageで培ったノウハウを生かし、情報誌の枠を超えた新たなスタイルで情報を発信し、団体活動を支援していきたい。


「風の色の違ういろんな場所」 林 弥子(まれびとピア懇話会)

 MyPageであちこち取材に出かけたのはいい出会いでした。情報部会のメンバーとしてMyPageの取材に出かけたことで、いろんな人と出会うことができました。加賀と能登の文化の違いを肌で感じたり、風の色の違ういろんなところで多様な活動があることを、膝を交えて話を伺うことで知りました。建前とか奇麗事ではない、生の声を伺ううことで迫力の違いを感じました。
 それと同時に、由布院の中谷健太郎さんをはじめ、県外で優れた活動をしている方々の話を伺うこともできました。手法は違うのだけれども、いろんな魅力で地域を発信してきた人のパワーのすごさに触発される部分が多々ありました。地域づくりの難しさは、地域の歴史風土、関わっている人の違い、行政の違いもあるので、同じ手法が通用するものでもないが、それぞれの地域で活動している人がたくさんいることを知ることで心強くもあり、うれしく思いました。
 個人的な交流もある人が何人もあり、地域づくりのネットワークの成果と言えると思います。


人とのつながりという財産 コーディネーター/伊藤数子(パステルラボ)

 地域づくり協会の活動に参加させていただいて10年あまり経つ。関わる方々は移り変わりながら増え、持ち込まれる思いや情報は多岐に渡る。最近私は皆さんの足を引っ張っている感を否めない。でもその顔ぶれは動物園みたいでいつも楽しい。
 能登半島地震が発生した。私の浅い想像をはるかに超え、地に足のついた真摯な姿勢でそれぞれの方が動いた。地域が大好きで尽日絶えず取り組んでいるから、その動きはごく自然でしかし力強い。そして気がついていなかったのが、驚くほど私たちはつながっていたということだ。それぞれ自分でもできることを教えてもらったし、的確な情報を出し続けてくれている。こういう時につながっていてこそ叶うことは多い。誤解を恐れず言うと、ああ、10年はこんなに素晴らしい「つながり」という財産を私にくれたのだ、と図らずも知らされる出来事になった。仲間でいられることを、改めて心から誇りに思う。


関を越えて コーディネーター/濱 博一(アスリック)

 本誌の取材・編集方針は、それ自体が挑戦的な試みとして始められた。通常は編集者だけが行う取材に、地域づくりを担う団体関係者が同行。取材団体の現場を直接体感し、取材記も執筆する。知見を広げ自らの活動に生かす絶好の機会が提供され続けた。
 人材育成という。人が簡単に育成できるものならば、世は既に極楽のはずである。座学で知識を得れば地域づくりが成せるものではない。知識「習得」を踏まえ、ワークショップ等を通じた体験の場から得られる「体得」、実践現場での思わぬ経験から深く刻まれる理論への「納得」。この三者が、らせん状に持続的に高めあう中から、人は材から財へと自己発展してゆく。
 情報誌という形態を取りながらも、人と協会の双方が成長するこのような場をもたらした本誌の役割は、後年じわりと効いて来る性格のものであった。この意味で、本誌の編集・発行に尽力された関係各位には改めて深い感謝と畏敬の念を表したい。
 本誌の取材を通じて与えていただいた先進的活動をされている方々と全国各地で交流するご縁は、いまだに続いている。「地方の時代」と言われ続けてきたが、地方と地方が直接つながり、意志とノウハウを交換し、地域づくりへの弛まぬ気概を交歓することこそ、真の地方の時代を象徴する姿ではなかったろうか。
 この貴重な場が事務の合理化という荒波の前に失われることは悔やまれてならないが、より進んだ一歩を踏み出せと我々が求められているのかもしれない。
 一つの時代は移ろうとも、石川・加賀能登発の試みは、留まるところを知らぬ歩みを記してゆきたい。


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