窯元探訪

さぁ、見つけよう。

工房に眠っている

未来のヴィンテージ品を。

陶芸家の言葉に潜んだ

胸が熱くなるような物語を。

100年後の骨董品と巡り合う

クラフトツーリズムとは?

PROLOGUE

多くの九谷焼職人が暮らす、石川県加賀市。

その歴史の始まりは17世紀中頃の江戸時代。

九十九の谷を隔てた山奥で

産声を上げた九谷焼は

海を越えた中国デザインや伊万里焼を手本に

どのような進化を遂げたのでしょうか?

目が釘付けになる、豪快な絵が

息を吞むほど、細い線が

心の琴線に触れる、鮮やかな色が

その小さな器に新しい歴史を刻みました。

この先、ぶつかって欠けることや

落っことして割れることもあるかもしれない。

そんな切なくて、繊細な存在だからこそ

愛おしさが芽生えるのも、たしかです。

もしも壊れたとしても、修復して愛用しつづければ

現代の九谷焼も、100年後には骨董品となれます。

クラフトツーリズムとは

時代が過ぎ去っても、色褪せない

世代を越えても、残るような

工芸品を探し求める旅です。

窯元探訪プログラム

工房へ訪ね、陶芸家と語り合い、九谷焼に巡り合う。

胸の熱くなる

探しもの

未来の骨董品を発掘する

工房は100年後の骨董品が眠る宝の山です。

まるでコレクターのように

目を輝かせながら、焼物を発掘するひと時。

胸の弾む、陶芸家との会話。

その一瞬一瞬に、込み上がってくる

ささやかな感動が積み重なったとき

本当に大切にしたい道具が

見つかるのかもしれません。

陶歴に潜む

ものがたり

焼物のコンセプトを聞く

ひとつひとつの焼物には

その時代を生きる

陶芸家の物語が秘められています。

これまで歩んできたドラマチックな陶歴が

まるで人生譚の断片のように表れています。

陶芸家の言葉に潜んだ

胸の熱くなるような物語を思い出すたびに

その焼物は、かけがえのない品になります。

手のひらが

恋する形

九谷焼の最前線に迫る

小さな器にも地球の歴史が刻まれています。

九谷焼の原石は約2000万年前の火山活動から生じ、ずっと地中に眠っていました。

そして人の手により採掘され、砕かれ

粘土のように柔らかく練り上げられると

ろくろや型打ちによって、器になります。

その伝統技術は中国大陸に遡り

やがて加賀地方へ流れ着き

さらなる進化を遂げています。

鮮やかな

色絵の秘密

九谷焼の最前線に迫る

和絵具は色彩の要であり

コバルト、マンガン、鉄、銅などが

絶妙に配合されています。

鉱物と焼物への深い知識に基づいた

調合レシピは陶工の財産です。

その陶芸家を特徴づける色や形があり

優れた技術によって完成した焼物は

窯元を象徴するヴィンテージ品となる

可能性すら秘めています。

金継ぎで

修復する

アフターサポート

末永く愛用したい、という想いを

加賀の漆芸家とともに支えます。

焼物は本来、丈夫です。

江戸時代の九谷焼が

現代に至るまで残っている。

その事実が焼物の耐久性を物語っています。

しかし、何かにぶつかった拍子に

ヒビや欠けが生じるかもしれません。

そんな傷痕も、金継ぎ技法により

美しく、なおせます。

循環型社会における工芸の姿

MESSAGE

焼物は、もともと山に眠っていた鉱脈の一部であり

限りある大地の欠片です。

まだまだ、その鉱脈は広大に残っているかもしれません。

けれど、それが有限であることを

忘れてはならないと思うのです。

100年後の骨董品と巡り合う旅は、

まるで人生のパートナーを見つけるように

末永く愛用する九谷焼を探すクラフトツーリズムです。

壊れたら、棄てる消耗品ではなく

破損しても、なおしたい、と思える焼物を

お届けする姿勢を基本としています。

周辺情報

ぽかぽかの温泉、火山の恵みと暮らす。

石川県加賀市では

温泉へ通う暮らしが営まれています。

住民のあいだでは「総湯」と呼ばれる共同浴場へ

頻繁に足を運ぶ習慣が根付いてます。

市内には3つの温泉観光地

山代、山中、片山津があり

それぞれ泉質も異なり

総湯を入り比べる「利き湯」も楽しめます。

日本海の幸を、いただきます。

日本海は魚介類の宝庫です。

地元の橋立漁港にも

四季折々の魚介類が水揚げされています。

加賀地方の食卓を支えているのは

底引き網、定置網、素潜りなどの漁法です。

土地に根差した漁や料理といった方法を経て

海の幸は器のうえで彩られます。

とびっきりの自然が、温泉街のそばに。

温泉街を囲む多様な自然。

山林、河川、渓谷、潟湖、海岸などが佇んでいます。

木々が擦れる音

渓谷に流れる風

さざ波を立てる潟湖

巡りゆく季節を、じっと眺める

物見遊山に耽られます。