とっておきのプチ「エコツアー」八尾・山田の再発見

 <案内人のご紹介>
「エコツアー」とは、自然や文化・歴史などに親しみ、楽しみながら理解を深める活動を通して地域社会への貢献も両立(「地域の宝」の保全など)していく、新しい観光スタイルです。
そんな「エコツアー」では、ガイドによる様々なお話に耳を傾けたり、楽しいコミュニケーションを取れることも大きな特徴です。
そこで、このコーナーでは今回の“プチ”エコツアーのガイドを務める「案内人」たちをご紹介します。
案内人村上光進(むらかみ・こうしん)さん [山間地活性化法人 理事]
昭和21年大長谷生まれ。

村上光進さんが案内人を務めるツアーはこちら
 ●4-「大長谷でキノコ狩り」 11/7(日)開催!

キノコの原体験
 富山の大長谷地区の『21世紀の森』に上がる登り口に家があります。そこで生まれたので、小さい頃から山に入っていました。大じいちゃんがキノコを採りに行くときに連れていってもらい、マイタケなどはその時から習っていました。小学校4年生頃からは県境まで一緒に出かけ、「大きなブナの根本で待っておれ」と言われて、大じいちゃんがキノコを採る間、2、3時間も待っていたことがあります。

昔の人は自然を生業に
 大長谷ではキノコ採りを生業にしていた人も結構いました。キノコの買い付けに、日にちを決めて下のまちから来ては、キノコを持って帰る人がいたんです。
 昔はサクラマスをとって生業にしていた人もいました。大した売上ではなかったかもしれないが、自給自足に近い生活だったので、貴重な現金収入だったと思う。

森は大長谷村の共有林だった
 共有林の利用に関しては、昔は原生林がほとんどだったので、住民の間で暗黙の了解があったんです。中学を卒業した昭和36年頃までは、まだ炭焼きも盛んで、炭担ぎに行ったこともありました。その後、エネルギー革命で炭は売れなくなりましたが、土木の工事が増えてきて、『木原造林』などの造林会社が伐採に入り、伐採に従事する人たちも入ってきて、結構活気がありました。
 その後、祖父母は婦中町に家を買い求めて下に移り住んだが、自分は牛を飼っていたので、ここにとどまりました。

和牛の畜産農家からキノコ料理屋へ
 畜産を始めたのは、学校を出てすぐ。婦負農業高校時代に、仲間といろいろ議論し、過疎がすでに始まっていた地域をどうすべきか考えていました。「条件の悪い山間の田んぼで米を作っても、他所と競争できるわけも無かろう。どんどん地面が空いていくので、牧場を作ろう」と、森君、中林君という学校の仲間3人で相談し、卒業と同時に畜産を始めました。肥育牛で和牛を飼い、多いときは100頭ぐらい飼っていました。
 その後、畜産をしながらナメコの栽培にも取り組み始め、お客さんにナメコ収穫の体験などもしてもらっていましたが、「せっかくなら食べさせてほしい」と要望があったことから、食事を提供することにしました。畜産は軌道に乗っており、一人でできる規模だったので森君に任せて、中林さんは山菜やキノコの加工を行うようにし、自分はキノコを提供する飲食店を始めることにしたんです。

組合をつくり、キノコ栽培をスタート
 キノコの栽培を始めたのは、昭和48年頃だと思います。栽培から加工にいたる過程では労力が必要なので、7名で組合を作って始めました。『木原造林』が伐った切り株をもらって稙菌していました。
 ナメコは菌を植えて2年目には出るようになります。5年目ぐらいがピーク。出始めると、2ヶ月ほどは毎日のように採りにいかないといけません。
 栽培のメインはナメコです。収穫後、一番傷みにくいんです。標高500〜800mはナメコの栽培に適していますが、標高100〜200mのところに行くと、成長が早くて肉厚になりません。

民宿『村上山荘』
 そんな風にキノコを活かした食事を提供していましたが、そのうち、「泊まってもらったらよい」と、民宿をすることになりました。それが『村上山荘』です。食事も提供していました。
 白木峰に鉄塔を建てに来ていた業者の人たちも、それなりに予算があったのか、泊まるようになりました。1ヶ月ほども続けてお泊まりいただいたときは、食事を作るのも大変でした。表日本から来られた方に、山菜を1週間に2回も出すと嫌がられたんです。

岩魚釣りの有名ポイント
 今のお客様の7〜8割は、釣りのために来る人です。ここの川は、釣れるポイントが国道沿いに30kmも続くので、川に入りやすく、かつ魚がきれいですから、釣り客の間では有名な川になっています。岩魚がメインです。他の漁協は成魚放流していますが、ここは幼魚放流しているので、魚がきれいです。
 最初の頃、ナメコを釣り客に送ったら、「こんなモノ食べられない」と嫌がられましたが、天然ものである旨を説明したら、その後は「いつ送ってくるか」と楽しみにされるようになりました。

グリーンツーリズムも行なってきた
 体験プログラムで人気があるのは、山菜教室とキノコ教室です。富山県でグリーンツーリズムが始まった頃、最初に実施したのは、“山菜の採り方”を紹介するプログラム。ルールを守って山菜を採って欲しかったので、そのような内容にしました。山で山菜の採り方を指導して、実際に山菜採りを体験してもらい、山菜料理を屋外で楽しんでもらうようにしています。
 キノコの体験は、グリーンツーリズムが始まるはるか前の、栽培を始めた頃から「摘まして欲しい」と要望があったので、体験的なプログラムを行っていました。会社からツアーで来られたお客様もいました。

満足度の高いプログラムづくりを工夫
 具体的なプログラムづくりとしては、30人もの人数で移動して活動するのは無理があります。10人以内で、詳しくお話をしながら移動しつつ、収穫を体験してもらうほうが、的確にアドバイスもでき、効率もよく、満足していただきやすいです。個人所有は稜線までで、そこから上は富山市有地。節度をもって山を楽しんでいただきたい。
 案内できる人を育てていますが、なかなかそこまでいきませんね。

山林所有者との連携も計画
 山主さんの許可を得て雑木を売ってもらい、そこに菌を植えてのキノコ採り体験ができるようにしたいと考えています。山林の所有者は限られているので、可能だと思います。雑木の評価と伐採は森林組合にお願いしています。そのための財源が必要ですが、木は5本も倒せば相当な量がとれます。
 同じエリアで新たな倒木が出た場合も、菌があれば同じきのこが出やすいです。ブナハリタケなどは特にその傾向が強く、ヤナギに生えるエノキも同じ場所に生えます。ヤナギが倒れやすいということもありますが。
 エノキは冬に出るキノコですが、ここらは雪に覆われるので、春に出ます。茎が黒くて茶色をしているが、美味しいです。

山との共生をさぐる
 大長谷は、ほとんどが森に覆われている地域ですから、いかに山と共生していくか、その仕組みを作っていかないといけません。杉林の保全は、森林組合が間伐等をしっかり行っています。
 地域の将来を考えると、農援隊を作り、継続的に関わる人を作り、産物も持って帰っていただけるような関係を作る等して、安定した基盤を作らないと、地域の持続可能性も高まらないでしょう。
 都会並みの所得は無理でも、十分生活できるだけの収入が得られるような仕組みをつくりたいと考えています。まずはお客様に来ていただける仕組みづくりが必要ですね。

少人数で楽しむのに適した地域スケールとプログラムを
 大長谷温泉の年間の利用者は一万人ほど。県外のお客様は、もともと多いです。名古屋方面からのお客様が多く、静岡、神戸のお客様もリピーターでいらっしゃっています。少人数のグループで遊びに来ていただけるようにすることが、この地域のスケールには合っています。
 今後としては、キノコや山菜が活かされている料理への取組みが優先課題です。
 地域の素材を活かして提供し、昔ながらの料理法で調理していますが、若い人は「ピザ窯などをつくり、キノコや山菜を盛りつけて調理することをしたい」と言っています。若い人に跡を継いでもらいやすくなったり、洋食関係と取り引きしやすくなるためにも、良いアプローチかもしれません。























(インタビュー時期:2010年10月)
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