■ 子ども時代の八尾での遊び
小さい頃は、現在、観光会館があるところは蚕の試験場で、桑の木がたくさん植えてありました。同級生たちと一緒に柵を乗り越えて入り、その桑の実を取って食べたりしました。城ケ山にも行きましたし、冬場の城ケ山ではスキーをしていました。井田川沿いにあったプールでもよく遊びましたね。
鏡町の階段のところや崖で遊んでいたことも多かったです。町の中でも、人の家の背戸で遊んだり、工場の庭で遊んだりしていました。銀杏の実を取って食べた記憶は沢山あります。他所の家の庭を通り抜けることは当たり前で、崖のところに流れてきている水を平気に飲んでいました。雑草として生えている赤ママやイタドリを食べたりもしていました。
■ 八尾生まれの八尾育ち
八尾の鏡町の生まれ育ちですから、おわら踊りは当然小さい時からしていましたけれど、私は高校2年で辞めました。三姉妹の末っ子なんですが、2番目の姉が踊り上手で、練習に行くといつも比較されるのでイヤだったんです。
八尾のおわらは、ただ楽しんで踊るというものではありません。年齢とともに、求められるレベルが高くなっていき、踊りを揃えることも徐々に厳しくなっていきます。ですから、私の場合は楽しむ段階に至る前に挫折した感じですね。
■ おわらは引き継がれている
鏡町の浴衣は、小学生は毬の柄で、中学生がオレンジ色、高校生になると雲の模様で、素材も絹に変わります。その段階からは、本当に厳しく指導されます。現在22才の娘は、練習好きで、きれいに踊ります。冬場も練習しています。
家で静かにしていると、地方(じかた:演奏)の練習の音が聞こえてきます。地方の方々は、自宅で毎日のように練習をされています。お隣が胡弓の名手の長谷川さんですし、私の友人はご主人が三味線をされています。練習というより自分が楽しむということかもしれません。
■ 旅館の若女将に
私は富山の会社に2年程勤めた後、八尾に戻ってきて家業の旅館「北吉」を手伝っていました。数年後、結婚を機に一旦家を出て、主人がやりたいと言っていた仕出し屋を近くで開き、「たつ吉」という仕出し屋を10年程していました。その間は、旅館のことは姉たちに任せていたので、ノータッチに近い状態でした。昨年の2009年夏に、たつ吉と北吉を合併させることになり、姉たちはそれぞれの別のところに出たので、一番末っ子が経営を引き継ぐことになりました。
■ 仕出し屋「たつ吉」のねらい
北吉は地域の皆さんに長年かわいがっていただいていますが、昔からのイメージで、どうしても「敷居が高い」「料金が高い」ととらえられがちな面もありました。仕出しをすることで、ほどほどの値段でも会席料理を提供できるとアピールしつつ、最終的には北吉を引き継ぐつもりで取り組んできました。昔からの北吉もそれほど高い訳ではないのですが、老舗としてのイメージが強固にあるようです。
遠方からのお客様にも、柔軟に対応させていただいています。
■ 旅館は、学びのある仕事
旅館業はお客様と接することが多いので、大変は大変です。あまり得意ではないと自分では思っているので、緊張しますね。性格的には、落ち込むこともありつつ後に引かないタイプなので、サービス業に向いているのかもしれませんね。いろんなお客様と接することで学ぶことも多いので、勉強になります。自分なりに仕事の魅力、やりがいを見出だしています。
仕出しの時も、一人暮らしの方のところに器を引き上げに行った時など、いろいろお話を聞かせていただき、教わることも多いです。すごく良い仕事だなと思っています。
■ 料理へのこだわり
料理は、あるものを活かそうということを基本にしています。普通の料理屋さんでは使わないような小さい芋も、会席料理の一品にすると、県外のお客様に田舎料理として好評です。八尾ならではのものが喜ばれます。
母親が山好きなので、春は山菜ですね。ふきのとう味噌は、「売って欲しい」との要望もいただいていますが、量をつくれないので、あくまでも料理に活かしています。秋はキノコを採りに出かけます。熊肉も手に入りますが、料理にお出しすることはありませんね。川魚も、鮎は使いますが岩魚は使いません。料理に出す素材という位置付けになっていませんね。
■ 建物は百年以上経つ
離れの建物は、明治17年に建てられたものなので120年以上経ちます。母屋は高校2年の時に建て替えました。現在地に来る前は、下の茗温泉にあったそうです。下の茗温泉で雨か何かで流され、こちらに移ってきたと聞いています。
元々は室牧の出身で、昔から旅館をしていたようです。おおじいちゃんは、八尾で最初に自転車に乗った人として、八尾町史で紹介されている人物なのですが、趣味人で、その好みで建物も作られたようです。釣り名人としても有名だったようです。
■ 花街であったことを負い目に感じていた時代を経て
母親は、宿の前身が遊郭であったことを負い目に感じて商売をしてきたようです。富山の猪谷出身の母は、高山線で恋をして、家の商売をよく知らずに嫁いでから、すごく驚いたとのことです。母親が嫁に来たときは、30人ほど女性がいたそうですが、昔の絵や写真はすべて燃やしてしまっています。華やかな時代もあったし、みじめな時代もあったということで、のれんの重みを感じますね。
■ 今後の方向性
今後は、あるものを守り、旅館としての格を落とさないように、料理に手間暇をかけてお作りして、お客様に楽しんでいただけるようにしていきたいと考えています。風の盆の時以外にも、八尾にお越しいただき、町を楽しんでいただけるようにしていきたいです。
おわらの街におわらの時期以外に来られるフリーのお客様もいらっしゃるので、異なる側面を楽しんでいただければと思います。
■ 子どもたちにも城ケ山めぐりを
私が小学生の頃は、バスで八尾めぐりをしていましたが、地元を知るという意味では、城ケ山めぐりをしたらよいと思います。城ケ山は八尾の財産です。その城ケ山についての知識は、八尾の出身者の財産だと思います。 |
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