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2003.07.23Update |
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店頭に展示コーナーみたいにして、昔からの道具を置いとるがだちゃ。棒秤、皿秤、一斗枡、一升枡、一合枡、五つ玉のそろばん、明治時代の粉ぬか通し、当座帳等を並べている。三年ほど前に、蔵から和紙の帳面が出てきた。昔の人は、当座帳も筆で書いていたんだね。木箱にきちんと入っていたので汚れも少なかった。町内の人の名前や、富山県内一円から県境を超えて能登の地名もあった。 昔は家庭で味噌を作る人が多かったから、味噌より糀(こうじ)を中心に作っていた。結局今は、糀と味噌と酒類が業種として残っている。昔はうちの前を通らんにゃ山の人が下へ出られなかったけど、正間のダムが出来て「おらんとこの家が、水に沈んでしまう」と言ってみんな下へ出られ、気がつくと、山に百軒ほどあった家が十軒ほどになってしまった。あっちにもこっちにも新しい道が出来て、大事な旧町繁華街に人も車も少なくなった。 父の時代は、さわし柿を作っていた。味噌づくりの傍らで、山の人から渋柿を買い、柿渋もつくっていた。柿渋・つるし柿・芋・大豆とかを扱って町の店などに卸していた。人を頼んで荷車を二台・三台と富山へ商いに行っていた。山田村から来る藁のムシロとか、串柿。吉友村から出るナタ袋・カンジキ・ハバキ・竹細工など、山から出る物は全部扱っていた。昔の物は手づくりだし、丈夫だったからね。 当店は創業百二十年。初代は幾次郎。二代目は親父(芳一)。三代目は私。四代目は息子の修一。 親父は、昭和四十二年に亡くなり、三代目の一人息子の私(公一)が、二代目芳一を襲名したがです。私が三十六、七の頃。 今はステンレスの桶が多くなった。昔大きな酒屋さんが辞められたときに、酒桶を分けてもらってねえ。壊してあった桶も何本もあったが、番号がちゃんと書いてあって、組み立てるのに重宝したよ。一枚一枚の板を竹釘でつなぎ合わせ、丸い桶にしたもんだちゃ。今は、桶の輪の入れ替えをする職人も八尾にはいなくなり、富山から来てもろとるちゃ。 味噌の桶は大きくて、ひっくり返すことなんか出来ん。中に入って洗うんだけど、うちの桶は内側の面を洗うと、鏡みたいに顔が映って見えるちゃ。外側は、昔柿渋やってたから紅殻(ベンガラ)塗って柿渋塗って、艶のあるきれいな桶ながだちゃ。 糀をつくるオリ(折箱)も年代もんです。飛騨の方で作った物みたいです。杉系統の木でしょうね。わっぱみたいにしてサクラの皮で留めてある。今じゃこういう職人がおらんようになってしもうて、私が修理しとるがだちゃ。 夏場の七・八月に糀のオリや道具を洗って、室の中も道具も消毒します。 糀は湿気があっても乾燥してもアカンしね。昔の人がよく口にしておられたけど「栗の花が咲いたような匂いがせんにゃアカン」。一粒一粒の米糀に真っ白い胞子がついて花が咲いたように見えるのが良い糀ですよ。
糀を買いに来る人は少なくなったね。甘酒もかぶら寿しも、昔ながらの伝統を継いで作ると旨くなりますよ。今の人たちは、酒の粕を溶かいて砂糖を入れたもんを「甘酒」と思って飲んどるようですけどねえ。 数年前の「坂のまちアート」で座敷まで開放したときに、甘酒を無料で振る舞ったがです。あれが糀で作った本当の甘酒。口に入る前に発酵した匂いがせんとダメ。あん時ね、何百人来られたかな… 何回も回って飲みに来られた方もおられたねえ。 うちの味噌は、企業秘密も少しはありますが、昔からうちうちで作っておられたやり方です。ただ、桶は大きい。大きい桶に入れて仕込んだ方が美味しくなるんですよ。たくさん入れた糀が発酵するからでしょうねえ。 うちの味噌は天然醸造で一年じっくり熟成させているので、一年中発酵しているのがわかるちゃ。夏にきてみられ、桶のふちから泡ふいて飛んでくるちゃ。耳立てりゃプチプチ音するよ。 うちには温醸施設がないから、新しい商品を開発しようにも一年経たんにゃ結果が分からんがだちゃ。例えば減塩志向に応えて、塩を五キロ、三キロにしようとか。研究所も持たんしね。 親父がよく「味噌屋は、死ぬまで勉強だぞ」と言うとったのは、それながだちゃね。 四・五年前には、「おわら風の盆」の登録商標も取った。最初は、「おわら」と「風の盆」は別の言葉だとはねられて、何年も掛かった。おかげさまで役場・商工会・観光協会に署名してもらって、昔から地元では「おわら風の盆は、つながっている一つの言葉だ」と異議を申し立て、看板も上げられるようになりました。 おかげさまで、顔も知らない遠い県外の人からも注文が来るようになった。お土産とか贈答品にもらった人たちが「今まで、こんな美味しい味噌食べたことがない」と注文してきて下さる。 風の盆に来た方にもね、「だまされた思うて食べてみられ」、「天然醸造で美味しいですよ」と言って買ってもらう。味噌は重いから、買ってもせいぜい一袋ですよ。でも「旨かった」言うて電話が掛かってくる。口コミのおかげで、送り荷もずいぶん増えましたちゃ。去年も「だまされてみたら、本当に美味しかった」と、こういうお客が一年ごとに増えてきてね。 うちとすりゃ、嬉しいて嬉しいて、一生懸命に期待に沿うような味噌を造っとるがでねえ。いつも「どこにも負けられん」思うて自分とこなりにガンバッとるがだちゃ。[・・・以上、八尾風便り[三](2002年発行)掲載分より抜粋して抄録] 聞き手:高峰博保[グルーヴィ] |
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