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2001年に北海道ツーリズム大学、南信州アグリ大学院が開校し、2004年は東北ツーリズム大学が遠野市に開校します。今年2003年は韓国に続き、北陸でも本日開校となり、非常にうれしく思います。 九州ツーリズム大学開校後の7年間に、まちがどのように変わってきたかをお話ししたいと思います。 7年前より、自分たちの地域にあるいろんな「宝もの」を使いながら、人づくりを始めました。小国は医学者・北里柴三郎が生まれた土地で、彼は私たちに「学習と交流」という理念を残してくれました。「たくさんの人に出会いなさい」、「出会いを通して学びなさい」というこの理念と、ツーリズムというキーワードを基にし、「観光」ではなく、「学び」をテーマにやってきました。 現在7期生、去年までで916名の卒業生・修了生を出し、現在九州でツーリズムと呼ばれる活動をしている人たちは、ほぼ卒業生あるいは講師です。 1〜3年目は農山村からの人、行政の人、あるいは男性が多かったのが、非常に若くなってきました。「地域づくり」の塾をやっていた時代には、同じ顔ぶれのおじさんたちで、年をとるばっかりでしたが、ツーリズムという「都市と農村の共通キーワード」を持った途端に、参加する人たちも変化しました。 女性が多くなれば、地元の参加者も非常に若返ってきます。入学式に作業ズボンで来ていたじっちゃんが、翌日からジーンズで来ます。人が変わるということです。「変わる」ことが一つのキーワードです。 キャンパスは九州全域、半径100kmとしています。自分たちのまちや個性あるまちづくりをやっている周辺地域を、交流の場、学習の場としています。カリキュラムは、9月から3月まで毎月あり、講議も実習もあります。来年は、町が持っている休眠施設を使って、『農家民宿・女将さん講座』を始めようと思っています。 1期生で出た河津さんは、農家民宿としては全国で一番流行っているのではないかと思います。流行っている原因は、体験を無理強いしないことかもしれません。蔵を改装した、離れ方式です。プライバシーが守れることもあるかもしれません。男の人とか行政視察の人には来てほしくない、って言ってます。梅干し、味噌などの農産品加工、親から子へ伝えていくべき日本の食を、さりげなく出しながらやってらっしゃいます。 ただ、お金の話だけをすれば、私どもツーリズム大学としては、農家民宿はあまりすすめておりません。いきなりとなると、キツイところもあるし、向き不向きもあるんじゃないかと思います。労働時間の制約から見ても、農家にとっては農家レストランの方が良いような気がします。 私たちがやっていることは、「次の世代が、自分たちの知恵で新しい産業を創りうる基盤」を創っていくことです。その基盤は人です。人づくりは時間がかかります。今までは限られたエリアでしたが、世界中につながる社会になってきた中では、自分の所の人でなくても良い。私の所では、東京から移住してきた若い連中が一緒に仕事をしています。 そういうネットワークによって、自分たちが今迄持ち得た資源、例えば草原、杉を、生産の場としか見ていなかったのが、いろんなモノとして捉えるようになります。 東京を介さず、自分たちで作り上げてきたネットワークが、漸く生きるようになってきています。まもなく人だけではなく、モノも乗せることができるようになります。あるいはこれからの合併で、このネットワークが新しい役割を果たしていくんじゃないかと思います。 ただ「都会の人に来てほしい」では、将来につながっていかない。むしろどんな関係を結んでいくかが重要です。将来資源を生かしていける人材が、自分たちの地域に育っていって、その人たちと一緒に新しい産業を創っていくときが、もう来ていると思います。 皆さんも、せっかくやりはじめたわけですから、せめて7年間はやってください。そうすると確たるものが生まれてくることは、私どもが7年間やって自信を持っています。それで漸く経済効果が出てきます。今までの産業は受け継いだものでしたが、こういう時代を迎え、自分たちで創り出した方が嬉しいし、創業者の方がずっと楽しい。 そういうことを続けていくと、若い人が「頑張ろう」という気になる。私たちが20年前にまちづくりをやったとき、「若い人が帰ってくるような魅力的なまち」と話していた。そして、実際に帰ってくると、慌てたわけです。「どうにかしなくちゃいけない」と、ツーリズム大学のきっかけにもなったと思います。 ツーリズムをキーワードに進めてきた結果として、次の世代が力を発揮できるようなまちの雰囲気を創ってきた。雰囲気は非常に重要です。移住してくる人も喜んでいるし、次の世代が「ここで生きていくために頑張ろう」という気になってくれた。自分のふるさとを、人生の場所として選んでくれています。 ある町に行って、ちょっとした心遣い、何気ない言葉、仕草に人々は感動して、「ああ、良い人たちがいるんだなあ」、「ここは何て良いまちなんだ」と思う。それを作り上げていくのは、人間関係です。ツーリズムとは、実はそういうことです。ツーリズム大学が、そういったものをつくる核になりました。 農家レストランや直売所は、モノよりも、やはり気持ちを売っているんです。「食べていかんね」っていう言葉、あるいは熱いのかぬるいのか分からないようなお茶が、何となく懐かしさを醸し出している。それと、ここ自体が地域の高齢者たちの交流サロンです。 地区にある集会所を利用した宿泊提供は、10年やって、今、7軒あり、来年8軒目ができます。消防団の使っている小屋です。日本で消防団民泊は、うちだけだと思います。団服を着せるだけで非常に感動するようで、「町民だ」という意識に非常になるようです。消防団は公に使うと怒られるんですが、地域にあるものは、何でも交流の道具として使ってみることは大事です。なければ隣町でも使っちゃおうという感じです。自分たちで布団を持ち込んでやっていますが、最近、ふとんを運ぶおじさんが生まれました。一回4000円。これこそコミュニティビジネスです。 日本という国は、まだ休みが少ない。これから経済を活性化させていくには、国民がもう少し休みをとると良いんです。でも、実は準備しておかなければいけないことがあります。一泊ぐらいなら、「ああ、カエルの声は良いなあ。田舎へ来て良かったなあ」とか思うんです。3日もいれば、カエルの声がうるさくてしょうがない。私どもは商店街が果たす役割が非常に重要だと思っています。 私どもでも、新しい町並みづくりをし、商家民泊、商家レストラン、世界で一番小さい映画館もあります。将来、旅に来た人が、「もう静かなところはイヤ。何でこんなに夜7時から真っ暗なんだ」ってなった時に、商店街にアミューズメントや愉しみをつくる人が必要です。そういった時代に先駆けて、「いろんなことやりませんか」って呼び掛けて、本当に毎日毎日飲み歩いています。 城端にも中心市街と農村部があります。地域にある産業を、どう総合交流型に変えていくかで、面白いまちができてくる。農家は農家で、グリーンツーリズムでがんばる。体験を用意したり、子ども達を受け入れる。でも、それは夏休みとか、一日二日の話です。日常的になってきた時に、商店街は非常に重要です。今までの商店街の機能にない機能を、ここに創り上げていくしかありません。 城端でも、装置としての町並みを、どうこれからの新しい仕掛けにしていくかが求められていると思います。そのためにツーリズム学校があると考えてください。自分たちの舞台である城端を、タダで論じてくれる人たちを、できるだけ日本中から呼び込んでくれば、そういう人たちが街を作り上げる。 今日も路地裏や古い蔵を見せていただきましたが、今は新しい装置として機能していない。そのまま残していくのも重要ですが、これからは時代を睨んで、交流の道具にどう生かしていくか。 自然学校については、いかに小さな頃から、自分たちのふるさとをちゃんと見つめる目をもたせるか。大学生に自然を教えたってダメです。小学校に入ったらもう遅い。私どもが統計を取りながら自然学校をやってきて、三歳児くらいにこういうことがかなり重要だと分かってきています。 自然学校などへの日本人の認識は低くて、「安価なものだ」と思っています。行政がやっているところは安いけれど、補助金が切れれば終わるのがほとんどです。私たちはどうにか生き抜いて、周りを見回したら、九州にいくつもあった自然学校がみんな無くなっていた。生き残れたらこれから商売になると思います。 あと、今力を入れているのは、ワーキングホリデーです。賃金などいろんな問題を抱えていますが、この都市と農村の交流が、農家の人にとって力になってくるんじゃないかと思います、 実は私が言いたいのは、都市ではなく農村を選んだ者が、農村の未来図を描くということです。 そのためには、まちとしていろんなルールが必要になってくる。受け入れるだけでなく、「来なくていいよ」ということも必要になってくると思います。 最後、こういうことを、どう発信していくか。私はツーリズムは今、都市へ、地域へ、次世代へ、という時代を迎えていると思います。 歩くことは非常に重要なキーワードになってくると思います。エコツーリズムや環境教育にも関連して、専門家を入れながら、自分たちで3つのコースを作りました。川のウォッチング、生態を見ながら歩くコースなどです。 城端もたぶん、来た人をいかに長く滞留させるかには、歩かせることが重要です。自然を歩かせるのも一つですが、町中あるいは路地裏も良いと思います。人、自然、鳥、いくつものキーワードで資源マップを作り、重ねることが重要です。そういったものを地区ごとに作り上げていくたんねんな作業が重要になると思います。■ |
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