◆ 長男の仕事・酒造り 18歳から酒造りの道に入り、50年以上従事しています。杜氏歴もすでに40数年となり、若くして杜氏になったと言えます。今は藤居本家酒造場という、全国の御神酒を作っている酒蔵で、楽しみながら仕事をしています。
酒造りを始めたいきさつには、自分が長男だったことが関係します。父親が戦死し、長男として家にいることになり、高校を出てからも地元に残りました。ただ、冬場だけは酒造りに出ることになりました。酒造りは当時、多くの長男がする仕事になっていたんです。
◆ 蔵人の成り手は重宝された 最初は三重県伊賀市の伊賀泉酒造に行きました。地元の人々だけに売っていた小さな蔵で、依那古駅が最寄り駅でした。伊賀には4〜5年行き、次は滋賀県の西川酒造に2年、その後も滋賀県の酒蔵に行き続け、吉川酒造、浅香酒造、さらに北野酒造に行きました。
高度成長時代で蔵人になる人も少なく、重宝がられましたね。
途中1〜2年は工場に出稼ぎに行ったこともありましたが、杜氏組合長に言われて、灘の太田酒造に行くことになりました。そこには十数年行き、経営者が代替わりした時に、それを機に辞め、その後は滋賀県の酒蔵に再び行くことになり、冨田酒造に3年。その後は県内、能登の見砂酒造に10数年行っていました。今はまた、滋賀県です。 |
◆ 能登杜氏の先輩たちにも助けられ、杜氏歴40数年 杜氏になって40数年。若くして杜氏になったため最初はよく分からなかったこともあり、一生懸命仕事をしました。蔵人と杜氏では全然違います。蔵人として使われているだけなら気が楽だったが、杜氏になると夜中でもうかうか寝ていられません。醗酵の状態が気になって、寝つかれないんです。
分からないことや不安があると、能登杜氏の先輩のところによく聞きに行きました。昔はあちこちに能登杜氏がいたので、相談もしやすかったですね。先輩は、こちらの酒蔵の様子を見に来てアドバイスしてくれることも多かったです。
ただ、最初から細かいことは言いませんでした。「杜氏として頑張っているのだから」ということで、“見守る”という立場で指導してくれていたと思います。「いよいよ分からない」とか「不安である」ということで、こちらから尋ねると、細かく教えてくれました。そのような関係が能登杜氏の良い所かもしれません。 |
◆ 今のほうが、人を使うのは難しい
人を使う立場で仕事をするのは難しいことですよ。酒を造ること自体は、データの蓄積もあるし経験で分かるようになる面も多く、大体覚えたら何とかなりますが、人を使うのは、いろんな人がいて難しい。酒を造ることより難しくなりました。
一人ひとりに対応しなくてはいけないし、今の若い人は、知らないことでも聞いてくれない。 |
◆ 「休んば(やすんば)」の利点 昔は、蔵人が休憩する場所のことを「休んば(休み場)」と言っていました。そこは、蔵人が枕を並べて寝る場所でもありました。
今は一人ひとりの部屋が用意されていることが多いですが、酒造りにおいては、一人部屋というのは良し悪しの面がありますね。食事が終わるとすぐ自分の部屋に入ってしまうので、その後の仕事の話をしようと思ってもできません。そうした合間の時間を使って「話す」ことが、勉強になることも多いはずだが、それが難しくなっています。
かつての「休んば」には、誰でも自由に乗ってよい車のキーも置いてあったり、ガソリンが無くなったら入れられるよう、ガソリンスタンドも指定されていた。
◆ 酒造りは面白い トータルにすると、50数年酒造りを行っていますが、「今年でやめた」と言っているんです。そんなことを言う理由としては、30kgの米が持てなくなってきて、無理があること。昔のように若い衆がいれば、年配者は指示をすれば良かったのが、機械化が進んで人が減っているので手伝わざるを得ない。そうすると肩が痛くなる。
とはいえ、酒造りは身体さえ持てば、何時までもしたい仕事ではあります。子どもを育てるようなもので、面白いですから。お客様が「うまかった」と言ってくだされば、嬉しいしね。
◆ 予約販売で人気の“元旦絞り” “立春絞り” 藤居本家では、“元旦絞り”を行っているんですが、これは、朝絞ってすぐ詰めて、あらかじめ予約いただいた人に販売するものです。近所の人であれば取りに来て、その日に飲まれますし、遠くの人には郵便局を通じて送り届けます。“立春絞り”も行っています。
こうした“元旦絞り”や“立春絞り”は、酒蔵見学に来られた人も帰りに予約して、お金を置いていかれます。“朝絞り”も好評で、酒販店がラベルを貼ってすぐ持って行かれます。
毎月の頒布会も行っているので、忙しい。1合瓶の御神酒は全国に販売しています。九州から北海道まで行っています。御神酒は、「榊谷」という私の名前にふさわしい商品だと言われます。
◆ 先祖は北前船の船頭 「榊谷」の苗字は、珠洲でも石川県でも1軒だけ。お宮の近くに家があったと伝えられています。彦五郎という屋号で、先祖は北前船の船頭をしていて、東北の酒田辺りまで行っていたと聞いています。
滋賀から持ってきた榊を、家の近くに植えたらしっかり育っていて、榊には縁があるようです。
◆ 能登では漁師。自給自足ができる土地柄
珠洲にいる時は、小さい船で海に出て、漁があれば漁協にも出しています。その昔はタバコも栽培していましたが、やめてしまった。田んぼは食べる分だけで、今は漁業がメインです。
漁業も、昔は笑いが止まらないくらい儲かったし、定置網の手伝いに出て給料を貰っていたこともありますが、漁が少なくなって定置網はやめました。今は刺し網漁をしています。夜に網を入れに行って、朝揚げて来て、自分が食べる分を残して、余れば市場に出すといった感じです。
米や野菜、果物なども自分で作っており、自給自足の暮らしに近いです。
◆ 酒造好適米「渡船(わたしぶね)」 今の酒蔵で造っている酒の銘柄に、「渡船」というのがあります。滋賀県で昔から作られていた酒造好適米の一つが「渡船」です。難しい米で、通常、米を磨くのは吟醸酒が米の40%以上、大吟醸酒が50%以上を磨くのですが、「渡船」は60%まで磨いても上手くいかないことがあるほど難しい。しかし、仕込んだ酒には、味があって濃い。
藤井本家では、普通の加工米は絶対使いません。滋賀県の米を使いたいので、農家とタイアップしています。
「渡船」は一時少なくなった米ですが、復活してきました。その「滋賀渡船六号」で仕込んだ酒の名前をどうするか社長と相談した時に、提案して米の名前を銘柄にしてもらいました。
◆ 酒米ごとの特徴を生かした酒を造る
ほかにも、腎臓、肝臓の悪い人が食べる低タンパク質米で、「春陽」という銘柄があり、その米で仕込んだ酒は、米の生産者の名前を使わせてもらって「円城」としています。その米は栄養が少なく、それで酒を仕込むと最初は硫化水素ばかり出てきます。米が硬くて溶けにくいので、酒にするのは難しい。しかし、酒の仕上がりはあっさりとしていて、女性でも飲みやすいものです。インターネットでもよく売れています。
◆ 軽い酒と、味わいのある酒、そして、お金を出して買いたい酒 “軽い酒”は簡単に作れますが、“金を出してくれる酒”はコクがあって、味わいのある酒です。「軽い酒でよい」と言う意見もよく聞きますが、それは酒をあまり買わない人たちの意見なんです。
お金を自ら出して飲む酒は、違うんです。 |
(インタビュー/2011年3月) |
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