能登杜氏物語(サイトタイトル)
インタビュー(メニューボタン-1) 酒蔵分布(メニューボタン-2) 能登杜氏とは(メニューボタン-3) 関連書籍(メニューボタン-4) リンク集(メニューボタン-5)
冬は杜氏として活躍するかたわら、夏場はかぼちゃの栽培を行なっている。昔は塩田での塩づくりが盛んだった珠洲で育つ。能登杜氏組合 珠洲支部長(H24度)、福井県酒造組合の副会長を務める。
飛ぶように売れた時代から
山岸杜氏◇私の親父も長らく杜氏として酒造りをしてました。家業というわけでもないが、そのせがれも杜氏になった格好です。最初は親父が長く杜氏を務めていた酒蔵に行き、次に滋賀県の酒蔵へ。能登杜氏は滋賀県に行くことが多いんです。今の福井県の「わかさ富士」へ来て20年。20代で杜氏になり、ほぼ40年経ちます。
 「わかさ」では、「三造り(さんつくり)」から。行った年から3回金賞を取りました。その後もまた2年続けて取るんですが、なにしろ当時、福井の敦賀や舞鶴近辺で金賞を取る酒は無かったのが、連続3回も入ったものだから、あれあれと飛ぶように売れました。
 残念ながら、今はあの時のことを思えばヒマです。あんな時は面白かった。若かったし、ようけ出来んでも作りましたし。今は売れませんね。量で当時の3分の1。ほとんどの酒屋も3分の1です。みんなガタンとは減らんけど、じわーっと減っていきました。

若い世代に、惜しみなく教える
───杜氏になられてからと、それまでの立場では相当ちがいますか?
山岸杜氏◇違う違う全然違う。全責任があるもんの。
───いったん蔵に入ったら、冬の間はもう能登の家には一日も戻らないんですか?
山岸杜氏◇もし「正月戻れ」って言われても、その間誰も見てくれんのに、嫌わいね。はっはっ(笑)。
───では、杜氏さんが最初に入って最後に出るイメージでしょうか?
山岸杜氏◇そうゆうことや。
───杜氏というのは、蔵人を何人か連れて各地の酒蔵へ入るんですよね?
山岸杜氏◇そうです。今5人。大体この界隈の方です。
───顔ぶれが大体同じだと、人集めの苦労はさほどではないですか?
山岸杜氏◇うーん、中々ね。やっぱり時代の移り変わりで、慣れた人が居無いです。昔はこの近辺でも酒屋へ出る者がぎょーさんおったのが、もう俺一人になった。はっはっは。大体、農業をする者がいなくなったし。講習会なんか見たら、知らん人ばっかりです。
山岸◇うちのお父さんの場合は、講習会などで今までに積み重ねてきたものを全部発表しています。、普通はそこまで教えないんですが、自分が勉強してきたことを若い人みんなに知ってもらおうという考えで、一人でも多くが酒づくりに興味を持って、意欲ある人が育ってくれたら良いなと、教えておってやです。もちろん、ほかの杜氏さんからの声が聞こえてきますよ。「山岸さん、この間の講習会、さすがにあそこまでは言わんとけよ」とか、「あれは極秘だよ」、「あそこまで教えたら、せっかく積んできた苦労が」と。

五感を働かせないといけない仕事
山岸◇その一方で、若い人からは「こんなことも教えて」と電話がジャンジャン入ってきます。例えば、「今ここ温度こんなになったけど、どうしたら良い?」。そして、冬が明けて能登へ帰ってきてから、「ああ、助かりました。あの時こんなんで」って、みんな遊びに来てくれてやです。「教えて貰うたお蔭で金賞に入りました」とか。
世の人は肝心なところはなかなか教えないみたいですが、一人でも多くの杜氏さんが育ってほしいな、と。自分がいつまでも生きていられる訳でも無いし、知ってることを全部教えたいんですって。

山岸杜氏◇そりゃあだって、まともに教えても、良いがになんか成らんかもしれんがに。
───確かにそうですよね。教えきれるものではないし、まして話を聞いただけで誰にでも出来るというものではない。
山岸杜氏◇五感を働かせないといけない仕事。酒造りてあ、難しぞ。それこそ血圧上がってくるわいや。

苦労もあるが、うれしさがある
山岸杜氏◇その分、良い酒できたときは、何とも言えん感じやね。こりゃ不思議に言い表せん。「やった!」
酒造らんは、面白い! やり甲斐がある。
山岸◇ほんでなきゃ、やれんでしょうね。だって、ほとんど寝とらんて言うもの。結局、「何時になれば、あの酒がこうなっている」と、3〜4時間おきに見に行く。だから、時間ごとの温度を全部書いてある記録を見て、「あれ?杜氏さん、何も寝ておらんやない?これ!」と。熟睡しとられん。大吟醸造るときは、もうちょこちょこと何度も見に歩く。
───睡眠不足になりますね
山岸杜氏◇そりゃあ完全に。ほやけど、良いがが出来たときのうれしさが、忘れられんさかいやるんや。それに、やる以上は良いがを造らんなならんし。

毎年の気候が違うから、酒造りも毎年変わる
───大吟醸を造るときの、その一番大変な期間ってどれくらい続くんですか?
山岸杜氏◇大変で言ったら、糀を造るのが一番大変。糀さえ良いのを造れば良いのが出来ます。日本酒の味は糀の味。
───じゃあ、その工程が一番気を使うんですか?細かく温度を見たりとか?
山岸杜氏◇そうそう。状況に応じて、それに似合うたことをしないと。
───毎年同じような作業を繰り返しておられるけど、毎年微妙に違うということですよね?
山岸杜氏◇それは、米が違うから。去年と今年では、ぜんぜん正反対。今年(2010年)は夏が暑かったから、皆、苦労したやろうと思う。
酒造りもやっぱり、横の連絡を取ってしたほうが、上手くいく確率が大です。自分なりに籠もっていても、やっぱり良くないな。人のがも聞いたりして進んでいったほうが一番いいな。それに、若い人は情報が早い。
───それは、若い世代は情報交換をしてるんでしょうか?
山岸杜氏◇そう。流行のこともしてる。
───若いうちは、何でも聞きやすいですしね。
山岸杜氏◇熱心に聞きに来るような、酒造りに熱心な者は、良い酒を造る。

日本酒の味は、糀づくりが決め手
山岸杜氏◇酒を利くがは、欠点を探すんです。もちろん良い所も探すが、悪い所が多くあれば、それはダメ。以前の酒造りは、香りがあってサッとしてれば良かったけど、この頃は、“香りがあって、米の味がする酒”でないとダメ。これは相当難しいです。旨みがある、後口の良い酒です。
───それは口に含んで分かるんですか?
山岸杜氏◇何とも言えん旨みがするさけ分かる。
山岸◇私らの口にすりゃ、一緒な味になって分からんけど。
山岸杜氏◇実は、甘いほうが酒が太くて幅があるから誤魔化しやすい。辛い酒ほど欠点が見える。ほやから若い奴に言う。「プラス2くらいの甘い酒出せ」と、そうすりゃ(賞に)入る確率が高い。
杜氏組合◇ただ、それを評価したために、最近は全体に甘くなり過ぎていて、審査の基準を見直すべきという声も出ています。
山岸杜氏◇甘くてのど越しが良く、後口が良いって難しい。ある程度の辛さなら、スッキリサッパリになりやすい。甘くて辛くて後口がスッキリの酒には、なかなか成らん。すごく難しい。
───甘いと、どうしても口に残る感じがしますもんね。
山岸杜氏◇そう。それじゃダメ。飲んだら、酒を飲んだ感覚が口の中に無くなって、旨みだけが残って、「あぁ、旨かった。もう一杯飲みたいな」が、良い酒。造る者にしたら、大変難しい。糀づくりを上手くつくれば、できます。
杜氏組合◇「いち糀、に酒母(もと)、さん造り」ってその通りなんですね。
山岸杜氏◇最初の蒸しが良くないとダメやわな。糀さえうまく作れば、すごく良い酒できる。日本酒の味は、糀づくりにかけるしか無いわ。
(インタビュー/2011年3月) 
酒造場名/ 株式会社 わかさ富士 (H23酒造年度)
福井県小浜市木崎13ノ7  TEL 0770-56-1717 FAX 0770-56-1718
http://www3.ocn.ne.jp/~hemmi/
【銘柄】 わかさ
酒造場名/ やちや酒造 株式会社 (H24酒造年度)
石川県金沢市大樋町8-32 TEL 076-252-7077 FAX 076-8252-7449
http://www.yachiya-sake.co.jp
【銘柄】 加賀鶴


INTERVIEW (インタビュー)
櫻田 博克
坂口 幸夫
浦上 隆作
中道 隆三
柳矢 健清
前 良平
吉田 正
畠中 利雄
山岸 正治
下祢 鉄郎
榊谷 和生
中倉 恒政
向 守三郎
坂頭 宝一
道高 良造
能登杜氏物語 NOTO-TOUJI Story お問い合わせ/珠洲の元気創造まつり実行委員会