能登杜氏物語(サイトタイトル)
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大工の仕事をするかたわらで酒造りの仕事を始めた。杜氏になって10年ほど。輪島の朝市通りにある酒蔵で酒造りを続け、時には観光客に日本酒を語る。
輪島の酒蔵で、専門職の杜氏が入るのは1軒だけに
 酒づくりは、もうおよそ35年間になりまして、杜氏になって10年ほどになります。
 昔は大工の仕事をしていましたが、冬場は大工の仕事がなくなるので、酒造りに出掛けるようになりました。福井の敦賀酒造に行ったのが最初で、6年間。それから京都、大阪に1冬ずつ行き、その後、大工の仕事に戻って名古屋に行っていた時期がありまして、名古屋に13年行きました。
 今は、同じ能登半島の輪島に酒造りに行っていますが、行くようになってからすでに27年です。今年6月で74歳になります。「年やから」という気持ちになったらダメやね。
 輪島に酒蔵は4軒あるけれど、そのうち3軒は蔵元杜氏になっています。蔵元杜氏というのは、酒蔵の社長さんなど経営者自らが杜氏として酒を仕込む。全国的に近年増えている形態です。日吉さんでは、家族のような感じで接していただいていますから、仕事はしやすいです。

外から来て、会社のその年の財産を預かるのが杜氏の仕事
 酒造りの仕事というのは、そこの酒蔵の財産1年分を預かるのだから、良くなって当たり前、という仕事です。一つ失敗したら、雇い主である酒蔵の財産を削ることになり、それは大変なことになります。酒造りに入るというのは、そんな気持ちがまずあります。
 前に、蔵元に、「金賞の酒が欲しいのか、それとも売れる酒が欲しいのか」と聞いたことがあります。「金賞を取る酒が欲しいのなら、俺は造れないから、そのような杜氏さんを呼んでくれ」と、はっきり言いました。酒飲みにもいろいろなタイプがいるだろうが、「安くても、良い酒が欲しい」という人から、「高くて素晴らしい酒が良い」という人まで。いろいろだろうが、どのようなお客様が多いか。
 最近の傾向は、どうも高い吟醸酒は売れなくなってきています。普通酒でも、質の良い酒が、より多く期待されているのではないかと思います。

酒は、生きもの。そこに面白さがある
 しかし、酒は難しい。講習会なども行なわれますから、吟醸酒の造り方など皆さん同じように勉強しているんですが、だからと言ってその通りに造っても、良い酒は簡単には出来ません。大樽1本しか仕込んでいない場合は難しいでしょう。そんな中、金賞を毎年取っている人もいるわけですが、じゃあどんなやり方をすれば取れるのかとみんなが頑張っている。
 生きものや!確かに生きている。言葉は喋れなくても、生きている感じや。だから、お客さんを案内する時にも、「毎年同じように作っていても、毎年違います。子育てと同じです」とお話しています。

一人一人ちがう赤ん坊のように、酒もちがう
 赤ん坊を育てている時、夜中に赤ん坊がぐずぐず言えば、おしめが濡れていないか? お腹が空いていないか? 熱はないか?と、気遣いをして朝を迎えます。それと一緒です。酒蔵で夜中に何度も起きて、外が冷えてくれば、マットを巻いて、保温してやります。温度が上がってくると、氷でも入れて冷やします。そういう造り方をして基本を守っていても、決して出来上がりが同じようにはなりません。それは、お子様が3人、4人いて、どの子も分け隔てないように育てていても、一人ひとり性格が違う子が成長するのと同じでしょう。
 毎年同じ酒はできない。毎年違います。そこに面白さ、楽しみがあります。

正月も家にも帰らない。酒造りは厳しい世界
 夏場の仕事だった大工は、今は辞めました。「自分の家を作ったら大工は辞めよう」と思っていたのですが、本当にその通り辞めて、普段は農業をしています。
 私が仕事を始めた頃は、やはり、“長男は家を継ぐもの”という意識がありました。そのためにも、どこかにでっち奉公に行くだとか、酒屋仕事に出るだとかしないと、一人前に見られないところがあったので、酒屋に出かけていくことにしました。しかし、子どもが小さい時には酒づくりを離れたことがありました。冬の間酒蔵にこもって、正月も家に戻れないような生活は、いかがかなものかと思ったんです。京都で大工の仕事をしていた時に、新建材の家づくりのことを知り、それを学ぶために外に大工仕事をしに出掛けるようになったのがその頃です。
 「人に使われている方が楽だ」と思うことだってありますよ。杜氏は神経を使わないといけないですから。

杜氏の後継者問題
 酒造りは、冬期間だけの出稼ぎ稼業。これでは正直、なり手は少ないです。“毎年冬場になると仕事が少なくなる”ような仕事があれば、担い手になってもらいやすいですが、今はそのような仕事は少ないですよね。たとえば大工でも、冬場の仕事を作っています。時代の流れは避けようがないでしょう。
 講習会に参加している若い人は、県外の人が多いです。“社員杜氏”のような形で酒蔵に入る人が増えています。季節労働の杜氏は減らざるを得ない。能登杜氏の後継者を育成するのは、なかなか難しいです。

毎年、一発勝負を預かる責任と面白さ
 毎年、酒ができたら、神様に供えます。その後に社長のところに持っていきます。実は、自分は酒が飲めないのです。だから、よく分からない面もあるかもしれない。杜氏で酒を飲まん下戸の人は、意外といます。有名杜氏にもいます。「酒を飲まない人の方が、味が分かることもある」と言っています。
 人の財産を預かっていて、失敗は許されない仕事。しかも、一発勝負のところがあるので気を遣いますが、面白さがあります。
 能登に、古和秀水(こわしゅうど)という名水があります。輪島市の門前にあるのですが、門前の中野酒造と沢田酒造の2軒が同じようにその古和秀水の水を汲みに行って作っていました。ところが監評会に出したら、一つだけが金賞になったんです。
 毎年同じものができるのでは面白くない。悪いものができた後は、「もっと頑張ろう」という気になる。
 「米一粒に、酒一滴」の精神で取り組んでいます。
(インタビュー/2011年3月)
酒造場名/ 日吉酒造店
石川県輪島市河井町2-27-1  TEL 0768-22-0130 FAX 0768-22-9988
http://www.hiyoshisyuzou.com
【銘柄】 金瓢白駒


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