酒造りは、奥能登の誇りと伝統。 寒い冬を酒蔵の中で過ごし、 ひたすら酒造りに賭ける杜氏たち。 一献の酒が誕生するまでの さまざまな物語を、能登の杜氏たちが語ります。 |
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坂頭 宝一 杜氏 (さかがしら・ほういち) | |
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◆冬場の仕事として、炭焼きを経て酒造りへ 酒造りを冬場の仕事にし始めて、もう50年になります。35歳ぐらいから始めました。 その前は、冬になれば炭焼きをやっていたのですが、酒造りは知人に誘われたので付いていったのが最初です。昭和34年で、八王子の西岡酒造でした。そこには1年だけで、次は滋賀県の竹内酒造に行き、5年間通いました。その次は、滋賀の松井酒造に誘われ、そこには5年間いましたね。その後は、現在の増本藤兵衛酒造場に行くようになり、ここがもう40年ほどになったということです。 ◆杜氏になってからの35年間 蔵人から杜氏になって35年経ちます。酒造りについては誰からもしっかり教わっていないので、それは苦労しました。何と言っても、「人の財産」を預かるわけだから、やはり神経を使う。たとえ大過なく酒が完成しても、売れなければ、当然社長の機嫌は悪くなってしまいます。杜氏の仕事は気苦労も多く、胃が痛くなったり、頭が痛くなったりしますよ。 杜氏が変わると酒の味が変わるんですが、最初に気に入っていただいたようです。品評会で賞を取り続けた実績があるので、評価が高い面もあります。今年は純米しか作っていません。純米が一番売れています。 ◆蔵人と酒蔵の間に立ち、時には喧嘩も辞さないのが杜氏 社長とケンカしたのは、3度あります。それも、品評会で賞を取った後にするんです。たとえば、自分の給料がそのまま据え置きで確保できていても、蔵人の給料が少ない時には、経営者と交渉しないといけません。それが杜氏の役割でもあります。「部下の土産の酒を少なくしろ」と言われた場合にも、ケンカしないといけない。それは、杜氏だけで酒は造れないからで、部下を守らないといけないんです。
◆杜氏同士の情報交換 杜氏同士の情報交換は、しています。私の場合、たとえば今まで一緒に仕事をした者で現在杜氏になっているような人はいないですが、特に、滋賀県内に来ている杜氏とは頻繁に連絡をとっています。お互いに電話で、米の具合やアルコールがどれくらい出ているとか、分析結果などを聞きながら、参考にしています。 酒造りは、データが大切です。データをしっかり取り続けて仕込んでいくんですが、その前に大事な前提があって、酒造りの工程のイメージがちゃんと出来ていないといけないんです。また、雇い主である酒屋のためには、より効率的に仕込んでいくことも重要な発想です。30日前後で仕上げる作業工程を描いて、仕事を始めます。 酒造りは緻密な仕事ですから、頭がしっかりしていないと出来ないし、私もこの年齢になっても酒づくりを続けているからこそ、いつまでも元気でいられるのかもしれません。 ◆百姓と山仕事 冬の酒造りシーズン以外は、春から秋までは杉や松をチェーンソーで伐採する作業を今でも請け負っていますし、山仕事は昔からしているので、続いています。珠洲一帯の山のことは詳しい。何でもできることが強みで、天気の良い季節に山に行って、歌でも歌いながら仕事していると本当に楽しい。木の上にも登って、枝打ちもしたりします。今でも家の屋根に上がって、瓦の様子を調べたりします。田んぼもしています。米は苗から自分で作って栽培しています。 酒造りは、この年齢まで続けてくることができましたから、もう、「いつ辞めてもよい」と思っていますが、その一方で、いつまでも続けられる仕事を持っているのは幸せなことだと感じています。
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