酒造りは、奥能登の誇りと伝統。 寒い冬を酒蔵の中で過ごし、 ひたすら酒造りに賭ける杜氏たち。 一献の酒が誕生するまでの さまざまな物語を、能登の杜氏たちが語ります。 |
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中倉 恒政 杜氏 (なかくら・つねまさ) | |
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◆10年目に杜氏になり、酒造り40年 最初に杜氏になったのは、県内の小松です。酒を造り出して、10年目か。串町の粟津の小松製作所(現:コマツ)付近の手塚酒造。それからまた滋賀県の山奥に行きました。それからまた県内に戻って門前町の中野酒造さんに11年。それから今のところに25年です。ちょうど40年です。 あちこちと変わりましたが、酒蔵が変わること自体はそんなに難しいことでもなかったですね。 ◆杜氏には、蔵人を集めて酒蔵に連れていく役割もある スタッフを集めるのも、杜氏の仕事です。最初のときは6人かな。さらに、「4人でしてくれ」という蔵元の要望に従って。今の蔵には、自分を含めて4人。 ぜいたくさえ言わなければ結構人数が集まった頃とちがい、時代と共に難しいのが現状です。ただ、景気の良かった時期は、それはそれで、「どうしようかな」と思うほど難しい時代がありました。紡績工場やベニヤ工場に人が向かいましたから、昔も一緒に行くメンバーを確保するのが本当に難しい時代がありました。 今はやっぱり、一時よりは景気が悪いから、みんなが景気の良い業種にばかり行ってしまう訳ではないけれど、好んであんまり季節労働に就かなくなりましたよね。 ◆醗酵しているものがあるから、正月も離れられん 酒造りで蔵に入る期間は、造り酒屋によっても違うが、今は130日くらいかな。自分はその間は、行ったっきりで帰らないですね。ほかの3人は、正月に、5日間くらい帰ってもらいます。 自分が帰らないのは、仕込んだもろみその他、醗酵してるものがありますから。それが酒造りの仕事というものの宿命的なもので、誰かが管理する。「仕方無い」げちゃねぇ。「正月まで、ほんなことやっとられん!」と思ったらできない仕事かもしれません。 ◆小さな蔵ほど、杜氏が総合的に 大半の杜氏は、行ってからまず自分の酒造計画を立てるんですね。「こういう仕込みはなんぼ、これはなんぼ」と、細かいところまで組んでしまうんです。出たり入ったりするときに毎日の帳簿もありますし、もろみや糀の温度計画も全てデータをチェックして記録しておかなければならない。絞りもまた、在庫管理というか、酒の生産をぜんぶ記録しとかなきゃいかん。 事務所のほうでやってくれる蔵もあるらしいけど、小さいところはやっぱり杜氏が帳簿もぜんぶできなきゃ。やっぱりたまに、税務署の人も検査に来ますからね。 ああ、昔はしょっちゅう来ましたね。そうした対応も、杜氏がしますね。人任せにしておられんさかい。酒造りには酒税が絡んで来るさかい、検査などが多いです。 ◆努力すれば、酒が応えてくれる 仕事のいちばん面白いところですか。やっぱり、努力すれば、お酒が応えてくれるところでしょうかね。 毎年同じ仕込みをやっても、まったく一緒な酒になるとは限りません。それがツライところでもあり、面白いところでもあるかもしれん。 経営者の意向として「こういう酒を造ってほしい」という要望も、なかなか緻密化して大変ですわ。酒の種類も多いしね。たとえば夏場の生酒などですね。 ◆日本酒の梅酒・レモン酒が、意外な売れ行き リキュールの類も、今年から初めてやっとるんです。梅酒とレモン酒です。酒蔵ですから、ホワイトリカーでなく日本酒に浸けました。ほんなもん、結構売れるもんですね。滋賀県の蔵なので、ラベルには大河ドラマ「江」にちなんだ3姉妹のイラストを載せています。その影響もあって好評だったんですが、あんなん売れるんは、ちょっと意外やったですね。日本酒から比べると、小さいビンに結構値段も高いげんわ。 製造にも協力しましたが、ただ、本来の酒造りとは全然違うものですね。醗酵するわけでないから。 ◆若い後継者の育成は、やり甲斐がある 杜氏の後継者の育成は、いつも言われる問題で、確かに難しいことです。 一番の原因は、この地元の若い人がなかなか参入してこないこと。一番のネックかなと思う。それだけ、杜氏という職業に魅力が足りねぇのか。冬場だけの仕事ということが理由なのか。まあ、いろいろあるとは思いますが。所得の面からしても、日当で考えれば良いけれど、年間ではなかなか。それもあって、若い人は入って来ませんね。 若い人が入ってくれれば、教育も、し甲斐がある。酒造りという面白い仕事に、もっと目を向けてもらう工夫が必要なのかもしれませんね。
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