酒造りは、奥能登の誇りと伝統。
寒い冬を酒蔵の中で過ごし、
ひたすら酒造りに賭ける杜氏たち。
一献の酒が誕生するまでの
さまざまな物語を、能登の杜氏たちが語ります。

  坂口 幸夫 杜氏 (さかぐち・ゆきお)

(出身地:鳳珠郡能登町)
(プロフィール)
祖父、父も行っていた酒屋仕事に、自身も中学卒業後より出掛けるようになる。平成6年から、奥能登の代表的な酒「宗玄」の杜氏職を務め、すでに10回を超える全国受賞へと導いている。

[酒造場名]
 宗玄酒造
 石川県珠洲市宝立町宗玄24-22
 TEL 0768-84-1314
 FAX 0768-84-1315
 http://www.sougen-shuzou.com

良い酒を造ってこそ、良い酒蔵。それは杜氏で決まる。最初はつらくても、「後で自分が笑えるような酒」を造ろう。

◆中学を出た年から酒づくりに出始めた
坂口杜氏◇酒屋へ出始めたのは、中学を出てすぐだったから、15歳か16歳から。冬の出稼ぎは結局それしか無く、漁師の合間に家へ帰ってくりゃ、「どこどこの酒屋へ行け」と親父が言うわけです。親父も祖父も酒屋へ行ってました。
 最初は滋賀県へ。そこにはふた冬いて、その後、能登杜氏の先輩である波瀬(はせ)さんに、「船が終わったら出て来い」と言われて行きました。まあ、使い走りです。波瀬さんが最初に杜氏を務めることになったときでした。
 その後、県内の加賀の「菊姫」に2年、その後、輪島の清水酒造には杜氏として6年いました。今64歳です。杜氏になって16〜17年になるかな。その間に全国(受賞)を11回取ってます。入賞し始めたのが、杜氏1年目と、今の「宗玄」へ来た1年目かな。ここはね、金賞とると若い衆に小遣い当たるんです。だから責任感がありますよ。途中の2年間は、輪島の酒屋に指導に行っとりました。能登半島地震(震源地:輪島市)があったのは、その2年目でしたね。

[銘柄]宗玄(石川県)

◆酒が応えてくれる気がする
───杜氏さんによって、酒づくりは結構違うんですか。
坂口杜氏杜氏によって、造りも全然違う。波瀬(はせ)さんという人がおったさかい、俺は恵まれとった。俺はぜんぶ波瀬さん流でやっとる。
───そういった“良い先輩”とどう一緒に仕事をして身につけ、学ぶかが、やはり重要なんでしょうね。
坂口杜氏そう。たとえばもろみの時に悪ければ、悪いなりに、そこから自分の酒へと引っ張っていく。そのためには、寝ずにでも頑張るということ。「この酒と心中したつもりで頑張れ」て、波瀬さんに言われたこともあります。
 日本酒づくりというものは、やっぱり頑張っとりゃ、酒も応えてくれるみたい気がするんや。それで、頑張って頑張っていくことで、それなりの酒が出来るんでないかな。

◆波瀬(はせ)杜氏の酒づくりを受け継ぐ一番弟子
───全国的に有名になった農口杜氏のもとでも、かつて仕事をされたことがあると聞いています。
坂口杜氏農口杜氏と波瀬杜氏は同級生でライバル。酒の造り方も180°違う。俺はやっぱり波瀬さんのところで育ったせいかな。たとえば山廃は造らん。俺と波瀬さん二人で、「山廃造らんでも、しっかりした味の酒を造れば、山廃に負けん」と、そういう意気込みでやってきた。俺は波瀬杜氏と農口杜氏と両方自分で見てるからね、それが一番恵まれとると思う。
 波瀬さんに対しても好きなこと言ってきたけど、波瀬さんに向かって好きなこと言えたのなんて、俺だけでないかな。何回か(鑑評会で)負かいたこともあるけど、「10回まで二人して(賞を)もろうげぞ」て言うとったのに亡くなられて。俺も困っとるんや。「我れ(=お前)しかおらんがや」と言われて頑張ってきたんやから。
杜氏組合腰が曲がるまで働いて、お金を使うヒマも無く亡くなった。人から見れば、「そんなに苦労して働かんでも」と思うけど、波瀬さんは多分それで幸せやったんでしょうね。
坂口杜氏波瀬さんの取材をしたい人は俺のところに来るね。どういう間柄で、どういう話し合いで酒を造っておったとか聞きに来られます。

◆日本酒の世界では、杜氏が商品の方向性を決める
───「宗玄」は不思議な会社ですよね?酒蔵に一般に多いオーナー会社ではない。
坂口杜氏本当の株式です。ただ、酒を全然知らない人、酒の「さ」も分からない人が社長になることだってあり得るから、そういう意味では怖いですね。
───企業として、経営側からいろんな要望や商品計画も出てくるでしょうが、そんな中で、杜氏さんとして「こういう酒を造っていこう」という計画を提示していく訳ですか。
坂口杜氏そう。俺は、親方が酒に口出ししてきたら、絶対ダメやと言うんや。俺の場合は、「波瀬さんに習って輪島で実績を積んだ、その酒を造れ」というので入ってきてる。清水酒蔵におった間も、酒づくりについてはひと言も。ただ、賞については、受賞するごとに「もっともっと」と要望が大きくなるみたいになって閉口しましたけど。

◆若い衆の味方でいたい
───「宗玄」は蔵人が多いですよね? その分、杜氏としての気苦労も多いのでは?
坂口杜氏気苦労ってことは無いな。俺に怒られるのは、今年3年目になった俺の子どもだけ。誰が悪いことしても、俺は息子を怒る。それで、その人が気が付けばそれで良い。息子も「こんちくしょう」と仕事で向かってくるタイプやさかい、ありゃ大丈夫や。息子は漁業もしていて、酒造りが終わったら夜はアワビ採り等をしに出ている。
 俺は社長さんに対しても、「俺は社長さんの味方でない、若い衆の味方や」と言います。若いもんを粗末にする社長とは喧嘩もしてきました。蔵人の数を減らせとか、蔵人の報酬下げろとか、ほりゃあ責任持たんなイカン。
 やっぱり俺は俺の方針でいく。若い衆が一番大事やし。社長と喧嘩しても構わんつもりで、若い衆を大事にしとる。何て言うか、「杜氏や」と威張っていても、若い衆がいなけりゃ杜氏はできん。
杜氏組合
坂口さんは、杜氏なのにいつもみんなのご飯よそってる側ですもんね。腰の低い杜氏。
坂口杜氏ただ、皆んなしてわぁわぁて騒いでるときは諌めて。うちの場合は下働きです。


◆吟醸は蔵の看板、純米酒は杜氏の看板
───先ほど、山廃は造らないとのお話でしたが、吟醸についてはどうですか。
坂口杜氏大吟醸は少ないな。最初来たときは、こんな大きい蔵でも3〜4本だったし、それでも残ってた。今はそれよりは多い。大吟醸は店の看板。純米酒は自分の酒。俺はそういうつもりでやってる。
───生産する量としては、純米が一番多いんでしょうか?
坂口杜氏そう。純米と純米吟醸だね。この前も東京の酒屋から、「このタンク1本売ってくれんか」と言ってこられた。でも、「足らんようになるさけ、勘弁してくれ」て断ったけど。それは輪島の時からの付き合いの店だったね。Dancyuに出てくる酒屋。そういう声掛けがある場合は、業務用として居酒屋などに出すようだ。

◆存在感が高まれば杜氏の名前で酒が売れる
───ひょっとすると、杜氏さんが販路まで持っているというのは珍しいんですか?
坂口杜氏波瀬さんもそういうところがあったね。波瀬さんもそういうこだわりでやった時がある。良いことやなと思う。酒屋さん(酒販・卸店)が言うのは、「宗玄の看板で買うんじゃない。杜氏の看板や」と。それ言われれば酒屋さん(酒蔵)は弱いげんて。まあ、杜氏としてそうなるまで働かないとダメいうことやね。
───杜氏さんの名前がラベル表示に小さく入ってるだけで売れるというのが、良い姿ですよね。
坂口杜氏ありがたいわんね。東京には「宗玄」の酒だけで居酒屋しとる人もおるからね。ありがたいなと思う。大塚のお店で、良いお客さんが付いてるんだそうです。
杜氏組合
坂口さんは、輪島の酒蔵を辞めたとき、それを聞きつけた人から、「そんなら、うちに来て欲しい」て問合せが組合にあったくらい。しかも次の蔵は、坂口さんが行くってなったら前の年の酒まで売れ行きが上がったそうです。
───杜氏の存在感を高めるということですね。
坂口杜氏それが大事や。それが一番手っ取り早い。そのためにも、昔やっていた『日本酒まつり』のような試みも、また復活させたいね。

◆能登杜氏の後継者は?
───能登は高齢化が進む地域ですが、その中で能登杜氏の将来も考えていかないといけません。
杜氏組合隣の能登町は若手の杜氏がおるんですけど、珠洲は70代、80代。

───いかに後継者を生み出すかを考えると、若い人がこの仕事に可能性を感じて、外から入って来てくれることも大切です。
坂口杜氏長野県から来た人もおるね。その反面、地域に働く場が無くて過疎化が進む中、地元の人間を優先的に使いたい面もあり、蔵元が「うちの若いモンを使わないと」と嫌がったり、なかなか難しい。
 いずれにしろ、若い衆をいかにうまく使うていかれっかが、杜氏の腕前やろうね。先頭切って働いて、若い衆を引っ張っていかないとイカン。自分だけ“良い思い”しようと思ったら大変やろうと思う。

◆良い酒を造ってこそ酒蔵。それを支えるやり甲斐
坂口杜氏俺が蔵元に要望したいのは、若い衆が酒造りしてくれてるおかげで蔵元が生活できてる感覚。雇ってやってるって感覚だと、働いてる者がツライがい。社長だろうが何だろうが、良い酒造ってこそ酒蔵や。
───焼酎やビールだと、その感覚はあり得ないかもしれませんね。
坂口杜氏工業製品ではない。酒が旨くないと、酒屋は仕事できん。
───それだけ責任も重いけれど、そこに、やり甲斐や面白さを見出せるか。それと、1年のうち一定期間の働きでそれなりの収入が得られる酒造りは、賃金も魅力ではないかと思うのですが。
坂口杜氏賃金で言ったら、杜氏としては俺は安いと思う。金にこだわらんさけ。息子のほうが稼ぎがええわい。

◆若い人へのメッセージ。後で自分が笑える酒を造れ。
───最後に、この仕事の魅力を教えてください。
坂口杜氏やっぱりね、自分で酒を可愛がっていけること。可愛がれば酒が応えてくれること。最初苦しくても、後で笑うことができる酒を造らないとね。
 若い衆に言うのは、「どったけ楽しておっても、後で泣くような酒ではダメ」ということ。最初辛くても、働いて、後で笑うようにせんと。俺はそういう主義。その時に、いくら怒られたって、なんも覚えられん。どんだけ言うても、分からんもんは分からん。
 怒られて覚えるより、体を動かして覚える。自分で体で覚えたことは絶対忘れん。頭の良い人は頭だけでいくさかい、失敗もまた大きい。それは、頭の良い人はみんな、計算や頭でやっていって聞かんやろ? 俺みたい頭のやわらこいと、ちょっと控えてるさかい。
 そして、経験して、体で覚える。盗んで覚えんなダメ。
───ぜひ、強い能登杜氏が多く輩出されることを期待します。
坂口杜氏俺は、我が強いけどの。でも実際、みんなが強くなっていってくれたら面白くなると思うね。
 杜氏は、造ってる者の強みがある仕事なんやからね。
(インタビュー/2011年3月) 

TOPにもどる
能登杜氏組合 〒927-1215 珠洲市上戸町北方2-19-3 TEL.0768-82-0794